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落橋
日焼けした壁紙。雨染みに起因する天井の染み。木目調のフローリングにはツヤが消え、掃除しても古ぼけた板の間に成り果てている。
普段なら、泥のように眠っている時間だ。窓から差し込む陽光が作る影をぼんやりと眺めている。今日からは、夕方、仕事に出る必要がない。いや、行ったところで、もうあの店に私の場所はない。
今月の部屋代は払えた。光熱費もなんとか。食費は……いつものように切り詰めて。だけど来月はどうすればいいのか。あの職場では雇用保険に入っていなかった。だから失業手当ても出ない。一刻も早く職安に行って、次の職を見つけなければならないのは分かっている。けれども、身体が動かない。惰性で働いている間は、耐えられる。でも断ち切られた吊り橋を目の前にして、対岸に続く橋を新たに架けるだけのエネルギーは生まれてこない。いっそ……口を開けた闇の底へ身を投じた方が――それができるならば、どれほど楽だろう。
「優貴……」
開いた扉の向こうの位牌が、私を見詰めている。薄い掛け布団を捲り、ノロノロと仏壇の前まで這う。線香に火をつけて、手を合わせる。
せめて、貴方が居てくれたなら。貴方を笑顔に出来るなら、私は身を粉にしても骨を砕いても辛くないのに。
貴方を救えなかった、貴方の苦しみに気づけなかった――この人生は私の贖罪。そう決めて生きてきたけれど……。
水色のノートを手に取る。
黄ばんだ紙に、クセのある縦長の文字が刻まれている。
ーーーーー
ぼくのために 働いていたのに
一生懸命 朝から晩まで 働いていたのに
ぼくは ずるい
ぼくは きたない
ぼくは 弱い
ぼくは
一生懸命働いて得た お金を
寝る間もおしんでかせいだ お金を
あわせる顔がありません
ごめんなさい
もう ぼくのために 働かなくていいから
毎日 好きなだけ眠って
たまには おいしいものを食べて
きれいな服や けしょう品を買って
これからは 自分のために生きてください
もう 思い出せないけれど
笑った顔が 好きでした
ぼくのために 泣かないで
ぼくのために 怒らないで
これからは 自分のために笑ってください
生んでくれて ありがとう
育ててくれて ありがとう
こんな ぼくを
もう ぼくは しばらないから
もう ぼくに しばられないで
ひとりで 勝手に決めて
ごめんなさい
ひとりで 勝手に消えて
ごめんなさい
ごめんなさい お母さん
ーーーーー
ああ……ああ!
無声の嗚咽が漏れる。
これは、私に向けられた懺悔。
私に託された願い。
私にかけられた、呪い。
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