縁切りの神様は、赤い糸に幸せを願う

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 「縁を切りたいんですけど」 突然神社にやってきた少女は、私の存在など奇怪でもなんでもないような顔をして、微塵も揺れぬ意志で静かに言った。  この神社は暇だ。暇なら暇なだけいい。私の存在など居ない方がいい。だが、彼女のような者達が、私を必要とする限り、私はこの世に留まらねばならない。  「誰と?」 もう決して長くない時間、この『仕事』を行ってきた。最初はここに来る人間を止めようと思ったが、それも長くは続かなかった。別に縁が切れたところで、生きていけない奴などいないと知ったからだ。  赤の他人に戻るだけ。そもそもこの世の者全ては、赤の他人なのだ。その赤の他人に、「恋人」や「親」というくだらない名称を付けるだけ。人間の縁とはそういうものだ。  「家族です」 「親か?」 「世間ではそういうのかもしれません」 彼女の表情は一切変わらなかった。眉一つ動かさず、淡々とそう言い連ねた。こういう人間は珍しい。縁を切りたいと願うものはごまんといたが、泣き叫び声を荒げ、早く切れと急かすものが大半だった。  ふと、彼女は何か他の奴らとは違う気がしたのだ。良い機会だ。暇つぶしくらいにはなるだろう。  「仲が悪かったのか?」 私は問いを重ねていく。 「まぁそうですね。でも、喧嘩する関係は修復が効くのだと思っています。無視をし始めたら、もう手遅れです」 彼女の声が一瞬震えたのが分かった。それは焦りなどではなく、ただ凍てつくような寒さを恐れるような声音だった。  「縁を切って、それからどうするんだ?」 彼女は大人と言うには早すぎた。 「さぁ、どうなるんでしょうね?」 彼女の言い方は、考え無しいうより考えることをやめているようだった。彼女にとって、縁を切れれば、後はどうでもいいのだと気付かされた。それほどまでに、縁を切るという行為が大切らしいということも。  「縁を切って幸せになれるのか?」 幸せなどというものを私は信じてはいないが、人間がよく求めるものだとも知っている。よく縁を切る人間が言っていた。幸せになりたかったのだ、と。 「なれませんよ」 なんだ、彼女は分かっているのか。それなのにも関わらず、縁を切ることを願うのか。やはり人間というのは分からない。  人を呪わば穴二つ。自分勝手に人を拒絶した人間が、幸せになどなれるわけがないのだ。それに 「家族とは、一種の呪いである」 私がそう零すと、彼女は分かっていたというように小さく頷いた。  そもそも縁とは呪いである。いくら神頼みをしたところで、切れるようなものじゃない。実際は、私でも持て余すような代物なのだ。切っても、完全に失くなりはしない。それほどまでに、強いのだ。特に家族の縁はそうだ。血の繋がりを、軽く見てはいけない。  「分かってて切るのか?」 「もう、それしか残っていないから」 彼女は孤独だった。真っ黒な糸に縛られながら、どこへも行けずに立ちすくんでいた。もう限界が近いのだろう。  私は了承し、大きな鋏を呼び出す。親は子を選べないのと同時に、子も親を選べない。でもこれだけは言わせて欲しい。 「嫌いでも、分かり合えなくても、互いを受け入れれなくてもいいんだよ。それが当然だ。もちろん、助け合わなくても、共に生きなくてもいい。ただ家族という縁の上で、お前自身がどう生きるかが大切なのだ」 「どう生きるか?」 鋏を向けられても、怯えることのない少女が少しだけ上擦った声でそう聞いた。  「どんな黒い縁だったとしても、ただお前が生まれてきたことを喜べたら、家族など関係ないのさ」 家族という縁が全てではない。友人や恋人、沢山の縁がもつれあって人間を縛る。時としてそれは枷になるが、幸せに導く糸もある。現にほら、彼女を縛る黒い糸の中に一本、真っ赤な糸が彼女を守るように結ばれている。  気付けたら、良かったのにな。もう遅いだろう。彼女の意思は変わらない。私は諦めて鋏を開き、一気に閉じようとした。 「待って」 私は間一髪、その鋏の動きを止める。  「家族の幸せを願えない私が嫌だった。そのくせ、家族が嫌いでは無い自分が裏切り者みたいで嫌だった」 彼女がどんな人生を歩んできたかなど、私は全知全能じゃないから知る由もない。 「愛されなくても、愛していいのかな?」 誰に向けてかも分からない言葉が宙に消える。 「いいんじゃ無いか?縁を切るよりは幾分か」 私はそっとその答えを紡ぎ出した。  「最初から、止めるつもりだったんですか?」 勘の良い彼女はそう聞いた。答えはどうせ分かっているのだろう。だから 「神の気まぐれだ」 とだけ言っておいた。  昔から、色々な奴の縁を切ってきた。だが、どんな縁であっても、切った人間は必ず涙を流す。これも縁という呪いのせいだろう。  私はこの涙が嫌いだった。少女が泣かなくて良かったと密かに思う。  どうか、彼女に幸せを。そしてどうか、いつか家族に愛し、愛されますように。そう願いながら、彼女を守る一本の赤い糸を静かに撫でた。  
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