一枚に賭ける

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確かにムカついてしまった。 こんなお世話になっているバイト先であるまじき行為をしてしまう位には苛立ったのは事実だ。 でも、 だからと言って… (俺…一人の女の子の恋を潰しちゃったんじゃねーの…っ) この言いようの無い気持ち悪さ。 罪悪感と呼ぶそれに押しつぶされそうになりそうになりながら、ちらっと楓を見上げれば何らいつもの調子で着替えを終えていく。 (この人も大概心臓強いわ…) 思い出したくは無いが、あの後楓は本当に十時の顎を押さえると、未だ立ち尽くしていた彼女の前で、それはそれは見て分かる程濃いキスをかましてくれた。 ゆるいBGMが流れる中、口内から洩れる生々しい音も聞こえてしまったかもしれない。 辱めにあった感覚もそうだが、それ以上に勢いよく店を飛び出し『楓くんのバカぁぁ』と泣かせてしまった方が酷く辛さを感じてしまう十時からは重々しい溜め息が洩れた。 「俺…人としてやばくないっすか…?」 「はぁ?何でだよ。あれは勝手に彩香が勘違いしてるだけだろうが」 へぇ、彩香さんて言うんだ…。 (…つーか、同級生の女子とかって呼び捨てにするもんな訳?) その辺りも謎にもやもやと気持ち悪さが上乗せされ、思わず眉間に皺を寄せるも今は重要視するところでは無い。 ふるふると首を振り、もう一度溜息を洩らすすと、そんな十時の隣に楓が腰を下ろした。 「十時」 「…はい」 「僕は嬉しかったし、褒めたいところだけど」 「…は?」 「ちゃんと恋人って啖呵切ったとことか、僕は嬉しかったって話だよ」 頭を撫でられる感覚にそろりと顔を上げた十時を待ってましたと言わんばかりに待ち構えていた楓から、ぐっとそのまま押さえ付けられ口付けられる。 柔らかいのに弾力のあるそれにぷにっと上唇を食むまれ、びくっと腰が揺れてしまう。 「…先輩はさ、」 「何?」 ちゅっと自然に瞼にキスを落とす男等本当に存在するんだなと思いつつ、くすぐったさに身を竦めた十時は、ぼそりと口を開いた。 「…俺の事、少しでも好きなんですかね?」 「………は?」 ずっと疑問に思っていた事。 何が十時の中で燻ぶるかと言ったら、問題の中心は結局これだ。 するりと聞いてしまったが、楓の返答次第ではどんな気持ちになってしまうか検討もつかない。 今よりも凹むのか、それともそんなもんかと妙に納得してしまうのか。 もしくは、 「つかさ、好きじゃないと同じ野郎相手にキスとかしなくね?え、何お前出来るの?ちんことか触れる訳?擦り合いとかしちゃう訳?」 いや、聞き方。 だが、今そこを突っ込む空気では無いのは分かっている。 「…そ、うです、よねー…」 乾いた笑いを浮かべ、今更だが何故このタイミングでこんな問い掛けをしてしまったのかと思う十時は、さり気なく楓の下から抜け出そうとするも、意外とがっちりと固定。 自然と見上げた先にある、楓の顔は笑顔だ。 相変わらず、何を考えているのか、分からないその笑顔。 「で、お前は?」 「…え、っと、え?」 「十時は僕の事好きなのかって聞いてんだよ。人に聞いといてお前は答えねーとかねぇだろうが」 三日月を模る唇と眼は矢張り全く真意が掴めないが、指一本動かせない程に感じる何か、と、 『好きじゃないと同じ野郎相手にキスとかしなくね?え、何お前出来るの?ちんことか触れる訳?擦り合いとかしちゃう訳?』 楓の言葉。 「俺は、」 自分が答える立場の方が緊張する。 ひんやりと頬が冷たい。 ぐっと喉が詰まりそうになった十時だが、 「それとも、僕のチーズケーキの為、とかぁ?」 「ち、違いますよっ、先輩の事、好きですっ」 ――――あ。 「へぇー。そうなのか。十時はもう僕の事ちゃんと好きなんだ」 「……は、い」 何てことだ。 咄嗟に答えてしまった十時の心臓が、このまま破裂するかもしれない位にどっくんどっくんと大きな鼓動を鳴らし、息をするのもままならない。 「じゃ、まぁいいけどさ」 十時の答えを聞いて、一応は納得したのか立ち上がると髪を結んでいたゴムを外し、ロッカーに備え付けてある鏡を見ながら手癖で髪を流す。 咄嗟に、 言ってしまったが。 このドキドキとした感情は決して照れ臭いだとか、きゅんだとか可愛らしいものからでは無い。 不信感にも似たそれと、それこそ、罪悪感ーー。 (俺…) 嘘を、言って無い、よな? 売り言葉に買い言葉、では無いが自分の感情を確認しないままに言ってしまった。 楓の事を嫌いでは無いが、恋人としての『好き』かと考えたら全く分からない。 チーズケーキを切っ掛けに惹かれ、キスをしたりだとか、触り合いをしたりだとか、気持ち良いからズルズルとやってしまった。 そんな考えが無かったのかと聞かれたら、はっきり無いと答えられないからだ。 節操無しと言われても可笑しく無いこの思考。 ただ心の何処かで楓だってこれが本心かどうか怪しいものだと思っているのもまた事実。 こんだけ整った顔をしている男だ。 今までだって『好き』と言う言葉を何人に言って来た事だろう。 (さっきの子だって…) 楓がそれなりに思わせぶりな態度を取っていたからでは? そう思わずにはいられない。 それに、志木の事だってある。
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