一枚に賭ける

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未だに志木の為に、河野から引き剥がすべく、自分に構っているのでは。 その疑念も拭えない十時は、 (だったら…お互い様?) 結果そんな中途半端な考えに肩の力を抜いた。 好きだとは言うが、何ら意図が読めない楓と経験値が少ない故か自分自身が良く分かっていない十時。 自分だけが曖昧じゃない。 安堵だーーー。 「十時、ほら」 「あ」 冷蔵庫から取り出された小さなカップケーキ。 スフレの様にふわりとした外見のそれは今日のチーズケーキ。 ひんやりと冷えたそれを何も使わずにただがぶりと齧った十時の口内でじゅわりと解けていく生地に小さく『うまー…』っと呟いた。 あれから何事も無くバイトは進んだ。 楓の同級生でもある彩香からの報復じみた何かがあるかも、戦々恐々としていた十時だが、本日違う意味での驚愕にこれ以上無い程眼を見開いていた。 「もう、ユキさんたらぁ!全然帰ってこないから心配したのよぉ」 「悪かったね。やっぱり現地に行ったらテンション上がっちゃって。でも色々と悪かったね、有難う」 ちゅっちゅ、っと目の前で頬にキスを受けながら抱き合っているのは朝日子さん。 会話の内容からして、きっと楓の父親なのだろう。 だが、その父親と言うのは、本当にこの人なのか。 仕事も終わり、さてとエプロンを外していた十時に裏口で片づけをしていた筈の朝日子にも挨拶をと思っていた矢先だ。 「あ、十時くん、お疲れ様ぁ。ね、ね、ユキさん、楓ちゃんの後輩の十時くんよっ」 ユキさん、と呼ばれた人物がゆっくりと十時へと顔を向ける。 「あぁ、君が楓が連れて来たバイトの子だね。私はユキだよ。一応楓の父親をやらせてもらっているんだ」 「よ、ろしく、お願い、します…」 差し出された白く細い手を握る十時は不躾だと思いながらも、まじまじとユキの顔を見詰めた。 「意外だなぁ、楓に親しい後輩がいるとか」 クスクス笑うその笑顔。 (え…っと…どう見ても…) ――――女性じゃねーの? ***** 「は?言ってなかったか?うちの父親やってる方が女で母親やってる方が男んだって」 「聞いてないっすよぉぉ…っ」 何それ衝撃的事実過ぎるでしょうが。 いつもの休憩所で驚愕の表情のまま詰め寄ってきた十時に、そんな中々聞いた事も無い様な事をさらりと告げる楓はきょとん顔だ。 「まー、そこら辺にはあまり居ない特殊な夫婦ではあるけど」 特殊どころの騒ぎじゃない。 十時にしてみれば、一体何がどうなっているのか、整理するのにも時間が掛かったと言うのに。 「…つまりは、あれっすか…朝日子さんが男で…ユキさんが女性、って事ですよね…」 「そう。ちなみに元は朝彦だしな。あ、ちなみに胸は毎日ご丁寧に詰め物してるから天然じゃねーぞ」 「へ、へー…」 だから、 『母親をやっている』 『父親をやっている』 なのか。 人の家庭の事情だ。 あまり深く詮索する気はさらさら無く、偏見も無い。 朝日子は普通に可愛らしい気の良い女性と言う印象に対し、ユキはどちらかと言うとすっきりと中性的。 割とバランスの取れた二人にも見える。 「大体そこまで重要視するとこじゃねーだろ」 「…あ、まぁ……」 「だろ?夫婦の形だろうが、愛の形だろうが、本人達だけが作る唯一の物だしな」 「そう、っすね…」 楓の言葉に素直に頷く十時は、ついでに楓を盗み見る。 (…形は、色々か…) きっぱりとそう言い切れる、この綺麗な男。 だったら、自分達の形ももしかしたらこれからなのかもしれない。 勿論必ずとも形が出来るとは限らないだろう。 もしかしたら風に吹かれたら飛んで行きそうな、薄っぺらい一枚の紙の様なものかもしれない。 呼び名も『恋人』とも限らないかもしれないが、それでも何らかの、 (それまで…このままでも、いいかもしれん…) 少しずつ、でも…。 「十時、スマホ震えてるぞ」 「え、あ、本当だっ」 座ったソファの横に無造作に置いておいた震えるスマートフォンを持ち上げ画面を確認すると【河野】の文字。 タップしてみれば、 《20日に決めたよ。ちゃんと予定を空けとくようにっ!行き先はまた連絡するから、ちゃんと確認するんだよ》 夏休みに何処か遊びに行こう、を実行する日が決まったらしい。 夏休みに入るギリギリまで何処に行くかを決めあぐねていた彼だが、どうやら何とか『形』になって来た様だ。 思わず、くすっと笑う十時は《了解》と打ち込み返信。 すぐに既読が付く様にも笑みが洩れる。 「何、あのチビちゃん?」 そんな十時の隣に腰を下ろしながら肩に腕を回す楓が手元を覗き込むと、さらっとした髪が十時の頬を擽るものの、矢張り不快感等無い。 「そういや、お前ら遊びに行くんだっけ」 「あ、そうっすね。ここのバイトが終わったら…」 「ふーん。言っとくけど、僕は恋人の浮気は寛容じゃないから。覚えておけよ」 耳元で囁かれる吐息混じりの声も。 びくっ、っと十時の肩が揺れるのを自身の腕で押さえる楓の強い力も、だ。 「どうなったら、そんな考えになるんっすか…」 「河野和沙だからなぁ。僕は意外と心配性でもあるんだよ」 ふっと笑う楓の紅茶色の眼がくるりと動く。 造り物のようなそれに自分の姿が映るが、そこに本当に自分が居るのだろうか。 見えているのだろうか。 もやりと浮き上がるそんな感情に、十時もふっと口角を上げた。 自嘲じみた笑み。 (本当、色々難しいな) と。
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