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(めっちゃ…恨まれてそー…)
しかも女の子を凹ませている。
その事実がじわりと良心と言う名の感情に黒い影を落とすも、
「馬鹿じゃねーの。そんなんブロックすれば完璧だろうが。一々間に受けてんじゃねーよ」
くだらないと椅子に座る楓に促され、十時も再び椅子に腰を下ろした。
手汗が凄い。
これでアイドルの握手会なんて言ったら普段神対応だと評判のいい子でさえ露骨に嫌な顔をされてしまうだろう。
「そりゃそうなんだけどさー。でも後々面倒な事になりそうじゃねーか」
「だからって僕にどうしろって話だろ」
空いている椅子に座り、ずずずっと楓に近づく志木はむすぅっと頬を膨らませる。
「んなの、簡単じゃねーか。ごめんなーって謝って、一発頬にでもちゅーしたれ」
その言葉にびくっと反応してしまったのは十時の方で、ほんの一瞬、眉間に皺が刻まれる。
それに気付いたのか、否か。
十時の頭をぐりっと撫でながら、楓がようやっとカレーへとスプーンを突き入れた。
「冗談じゃねーよ。まじくだらねー」
心底面倒だと言わんばかりの冷たい声音とは違う、頭を撫でる暖かい掌。
何となく感じる気恥ずかしさに自然と口角が緩みそうになるも、
「つかさー。まじで何してあそこまでぴえん状態にしたんだよ。理由聞いても言わねーの、綾香のやつ」
「十時とキスしただけだけど」
「…はぁ?」
「こんな感じ」
撫でられていた頭を引っ張られ、そのまま口付けされた瞬間、気が遠くなるのを感じた。
そしてーーー
「お疲れさん、また来いよっ」
最後だからと倉本からは、特別に造ったと鮮やかな花を象った飴を貰い、
「何だか寂しくなるわー…。またいつでも会いに来てねー!あ、でも、うちに婿入りするなら将来的にはいつでも会えちゃうのかしらーっ」
「朝日子、気が早いよ。十時君を困らせては駄目だからね。でも、楓が何か気に障る事をしたらいつでも来るんだよ」
楓の両親からはニヨニヨと生暖かい眼でそんな事を言われ、焼き立てのクッキーと給料を頂いた。
「有難うございます…」
居た堪れない。
羞恥で顔が赤くなるのを押さえられない十時は経験した事の無い様な感情がぐるぐると渦巻き、礼を言うのが精一杯。
だが、それでも嬉しそうに笑う二人に何とか笑顔を向けると頭を下げた。
二週間程のバイトではあったが、かなり色々と体験も出来、面倒な事もあったがそれ以上に楽しい事も感じ取る事が出来た。
正直、名残惜しいな、とも思える。
大きな失敗等は幸い無かったが、きっと知らない所で迷惑もいっぱい掛けただろうな、と着替え終わった十時は借りていたシャツやエプロンを鞄へと詰め込んだ。
何だか柄にも無く、しんみりしてしまう。
しかし、いつも以上に疲れた気がするのは最後の労働の所為では無いのがまたしんどさを覚えてしまう。
朝から昼の志木まで。
特に志木の持ってきた話はあれからカレー等食べる気にもならなかったくらいだ。
三分の一程残っていたと言うのに、勿体無い。
(しんど…)
はぁ…っと重々しい溜め息を吐きながら、扉を開け外へと出る。
真夏の夕方。
未だ残る熱気が涼しい空調下に慣れてしまっている十時に、むわっと押し寄せるがそこに立っている人物を見つけるとそれ以上に熱さが顔へと集中した。
「おせーよ、あちぃ」
「すんません…挨拶とかして、て」
「そんなんちゃっちゃと済ませて来いよな」
「無理言わんで下さい」
十時の抱えている飴やクッキーをちらりと一瞥した楓の眼が一瞬細く鋭くなったものの、すぐにくるっと踵を返すと歩き出す。
「行くぞー」
「……はい」
やばい。
すごくドキドキしている。
これは朝の比では無い。
これから楓の家に行って一泊するのだと思うと耳に膜が張られた様に周りの雑多音が聞こえてこない。
代わりにこめかみ辺りに心臓が移動してきたかの様にドクンドクンと音だけでなく、振動までもが頭に響く。
たらりと額から流れ出る汗が顎を伝うも、拭う余裕すら無い。
大体あの両親達は自分が宿泊するのを知っているのだろうか。
キスを見られてしまい、その上あんな温い視線を送られてしまい、聞くに聞けなかったがそれすらも居た堪れない気持ちにさせられる。
それに、
(俺…まじでこんなんでいいのか…)
堂々巡るこの、思い。
どっかでこのままでもいいと思う反面、それに制止を掛ける自分も居る。
ーーーー今なら、引き返せるかも。
急に用事が出来ただとか、体調が悪くなっただとか。
けれど、それはそれで後味が悪い。
嘘を吐く罪悪感はもっとキツいかもしれない。
そして、そんな自分の事だけを考えている自分も嫌になる。
きゅっと三白眼を歪める十時だったが、ふと目の前を歩いていた楓が足を止めた。
「…?先輩?どーし、」
「か、楓くんっ」
十時のお伺いの声に被る、高い声。
楓の肩越しに前を覗きみれば、そこに居たのは数人の少女達だ。
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