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茶色の鼈甲の素材を使用しているかの様な飴色のそれは色素の薄い楓の肌によく映え、こうやって似合う眼鏡をまじまじと観察してしまうのも十時の癖になってしまったようだ。
本人も気付いていないその癖を楓がにやりと笑う。
「何、十時ぃ。僕の顔まじまじと見てぇ」
「いや、ただ、」
別に他意は無いと口を開きかけた瞬間、
「そうだ、和沙っ、俺も、俺も行くからなっ!!」
何を思いついたのか、ソファから立ち上がり仁王立ちする志木がむんっと立派な大胸筋を張った。
「…は?」
楓へと臨戦態勢を向けていた河野の動きが止まる。
「夏休みだよ、俺だって休みの間でもお前の顔見たいし、此処らで交流を深めて、身体的にも物理的にも距離を詰めようぜっ!!」
「身体と物理って同じ意味合いじゃね?」
何やらテンションマックスに良い案だと言わんばかりに眼を輝かせる志木はわざわざ突っ込んだ楓にも向き直り、な?とお伺いを立てる。
「えー…僕は河野和沙との距離とか、クソ程どうでもいいけど」
「僕だってあんたの事なんて、どぉーでもいいわぁ!!」
「やべぇーよ、気が合いだしたよ。友達になれちゃうかもなぁー。まぁ、ぜってー無理だけどぉ」
ははっと明らかに小馬鹿にした口調と嘲笑を浮かべる楓に河野の額に次から次へと青筋が命を宿した様に誕生していく。
このままではどれか一本ぷち、っとすぐにでも自立し飛び出していきそうな勢いだ。
おろおろとする前原も顔色が青いとかそんな鮮やかな色合いでは無い、土色だ。すっかり血の気を無くし、押さえる手は胃の辺り。
(あぁ…もうマジうるせぇー)
結局その日の夜は、何も決まらず、何も抑えられる事も無く、快適で過ごし易い筈の十時の部屋が煩いだけの部屋に成り下がったのだった。
23時を過ぎ、何だか無駄に疲れたと肩を回す十時の部屋の扉が叩かれる。
(誰だよ…ったく…)
河野が絶対に志木や楓を混ぜるな、と念押しに来たのかもしれない。
そんな塩素系ハイターの様な事を言われた所で自分が何か出来るとは思えないが。
「…はいはい、誰、」
「十時ぃー」
ゆっくりと扉を回した先に居たのは、廊下の電灯を反射させる眼鏡、
を、着用している楓だ。
ひらひらと振っていた手をがしっと扉に掛けると素早い動きで中へと身体を入れ込む。
「ちょ、何してるんすか…」
ちなみに寮内を自由に移動出来るのは一応22時までと決まっている。
だが、そんな寮則を律儀に守っている生徒等少数派ではあるが、それでも何となく罪悪感が伴う十時は小声で咎めるも、それも軽く一蹴する楓は目の前にある頬をむにぃっと片手で掴んだ。
背もでかけりゃ手もでけぇなぁ、と思ってはいたが、こんな片手で人の頬を余裕で掴む事まで出来るとは。
「十時ぃー、お前アイツと夏休み遊びに行くとかより先にさぁ、決める事あるんじゃねーのぉ?」
「…え?」
口調はいつもの様に軽いモノだが声音が低い。
頬を押さえる手の力も意外と強く逸らす事も出来ず、じぃっと整った顔を見つめる事だけしか出来ない。
「決める、って、何、」
「バイトー。僕んとこのバイトの件返事貰ってねえーっつーの」
あ、っと口を開けば、たらりとこめかみから流れる汗。
「…お前忘れてたとか言わねぇよなぁ」
また声音が下がった気がする。
ぞくっと背中を走り抜けていく悪寒にまで縋ってしまいそうになるくらい。
「ち、違いますっ、忘れてたとかじゃなく、て、」
「何?」
「も、う、俺の中では、バイトさせて貰う気まんまんだったんで、だ、から、」
その流れでいいのかとぉー…
自信無さ気なそう何とか答えた十時をしばらく見下ろしていた楓から、ふぅーんと声が聞こえる。
「十時」
「…ういっす」
「…お前、僕と付き合わない?」
「…………どこ、へ」
「………」
「あいたたたたたたたあああああ」
ぎゅううううっっと十時の頬を掴んでいた手の力が強まり、このままではぶちぃっと潰されそうになる恐怖が過ぎる。
楓の眼がマジだ。
「誰がそんなベタな答えを言えっつたよ、ああ?」
「ふ、ふいま、へんっ」
あまり大声も出せない中、じわりと目元に涙が浮かぶが、
(あれ…って、事、は?)
十時の眼が大きく見開かれ、ばちばちっと音が聞こえそうなくらいに瞬きが繰り広げられる。
「…かえふぇ、せん、ふぁい…」
「答え、今すぐ」
「ふぇ!?いや、ふぉんな、」
(えー…付き合うって、そう言う事な訳?)
そう言う事の悪いには、あまりに間の抜けた声音に全く皆無のこのムード。
甘さ等一つどころか、欠片も見当たら無い。
経験が無いだけで誰でもどれでもこんなものなのだろうかと一瞬真剣に思う十時だが、いや、そんな事は無い筈だ。
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