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せめて、せめて、もうちょっと『それなり』な雰囲気作りがあっても良かったのでは、と、じとぉ…っと眼を細める十時だが、はっきり言って問題はそこでは無い。
分かっている。
ようやっと楓の手から頬が解放された頬がぴりぴりと痛む。
「答え」
「いや、あの、こう言うのって俺の齢15年程度の人生の中でも結構、大型なイベントでして…すぐに答えっつーのは…」
つか何故寮の自室の玄関先でこんなお手軽にレスポンス希望されても。
「はぁ?何を悩む事あんの?」
「えー…」
「キスもエロいべろちゅーもしてんじゃん、エッチだって挿れてないだけでもう互いのちん…」
「ああああああああああああああ」
咄嗟に目の前の口を自分の手で塞ぐ十時の語彙力は無い。
「なななな、なにをいいだしますかねぇぇぇ…っ」
「事実」
ごもっとも。
だが、そんなデリケートな話題を簡単に出さないで頂きたいのだ。もっと大事に取り扱って頂きたいと切に願う。
だが、
「やるだけやって、何?僕の事、お手軽なチーズケーキ食わせてくれるオナホだとでも思ってんの?」
「……それ言うなら…先輩だって、何考えてるのか分からないっすよ」
そんな言い方をされてしまえば、流石の十時もカチンと来るのは当たり前な事。別に聖人君主でも慈悲深い訳でも無い。
ただのお人好しの延長線に存在しているだけ。
「何のモーションも無しに、キスだとか、おまけに、いきなり付き合おうとか…俺には理解が出来ないっつーか…」
「何だそれ。理由って必要?」
「少なくとも俺には、要るか、なー…」
「今まで黙ってしてたじゃんかよ。付き合うのに理由は要るのに、ただ触り合うだけなら理由は要らないって事かよ?」
それを言われると言葉に詰まる。
今更だが、矢張り流されていてはいけなかったのだ。その場でずばりと聞くべきだった。
その場の状況、証拠、それを元に問う事は大事なのだ。
子供への注意しかり、ペットの躾しかり、浮気現場しかり。
ぐぐぐぐっと唇を噛み締める十時の脳内に色々と言い分が重なっていくが、それは結局言い訳と言うもの。
(だって…やっぱさー…やっぱこの人とのキス、とか、気持ち良かった、し、な…)
それに、見上げた先の綺麗な顔。
眼鏡があろうと、無かろうと、そんなものにちっとも左右されないこの顔面は強い。
(なんつーか…ちょっとした、優越感と、好奇心が勝った、と言う、か…)
そう、本当に我ながら滑稽過ぎる言い訳だとは分かっている。
しかもその最低且、最悪な言い訳の頂点に君臨するのは、
(チーズケーキ食ったら…この人とキスしたくなるっつーのも…あったし…)
これだ。
必ずと言っていい程、チーズケーキを食した後にセットの様に付いてきた楓とのキス。
大好きなチーズケーキからの、楓からのキス。
仄かに香って来る甘い香りも心地よく、ふわりと重なる唇の柔らかさも、普段の粗野な楓からは想像もつかない触れてくる手の優しい仕草も癖になってしまったのかもしれない。
知識ゼロ、経験ゼロの全寮制の男子校に在籍してしまった童貞野郎には、こういった内容が欲求とタイミングも重なり、簡単にチーズケーキとキスが結びつく様になっていったのだろう。
「何黙ってんだよ」
一人脂汗を額に抱え、巡る思考でいっぱいいっぱいになっている十時の頭上から声が降ってくる。
「あ、の、じゃ一つ聞いても…いいです、かね…」
「何」
「別に…先輩も…付き合う意味とかが特別無いなら、このままで、よくないですか…」
なーんて…
「………は?何クソビッチみたいな事言ってんだよ」
――クソビッチとか。
インパクトの強すぎる初めての名称過ぎてどう反応していいのかも分からない。
と言うか、何故に付き合うと、恋人関係に此処まで固執するのか。
志木の為、だろうか。
元々この二人はそんな事を言明していたではないか。
(そんな事、しなくても別に俺は河野とどうこうとか思ってねーのに…)
自分の意思とは関係無く、目元にじわっと熱が集まってくるのを感じ、むぅっと下唇に力を入れ固く結ぶも、油断すると涙が零れ落ちそうになる。
空手の練習で叱られても、負けても、志木に殴られても、鼻血を垂れ流しても、感情から来る涙なんて無かったのに。
十時自身、珍しい、なんて客観的に思っていると、
「…分かった」
ぽつりと零れて来た固い声に反応し、咄嗟に顔を上げた。
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