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「よ、よしっ、じゃあ内山田だってこう言ってくれてるし、此処はもうそう言う事で帰ろう、和沙っ」
どう言う事だよ。
「は?どういう事なんだよ。ちゃんと僕の恋人として全うしてくれるって事な訳?」
十時のツッコミよりも先にそう言い放つ河野は、ぐりっと大きな眼を向ける。
「それさぁ、俺に何のメリットあるんだよ。デメリットしか無いだろ、つか、確定ー」
ぼりぼりと頭を掻きながらではあるが、面倒くさ気な十時もそれを真っ向から受ければ、少しだけ相手がたじろいだ様に顔を歪めたのが見えた。
「メリット…僕と付き合えてるって言う、優越感とか」
「すごいな、お前。自分でそんな事言えちゃうんだ」
嫌味では無い。
純粋に心底感心した風な声音に今度は前原の方が眼を見開いた。
「けど、俺そう言う優越感とか今要らないからなぁ。つか、お前はそう言うのに抵抗ないの?」
そう言うの、が指している意味を考えるより先に河野は肩を竦めると、別に、とあっけらかんとしたモノ。
(あ、そう言う感じなのね…)
全寮制の男子校、ある程度の覚悟があるのか、それともそう言う恋愛観なのか。
どちらにしても、平行線なこの話。
いい加減飯が食いたいと本能が訴えている。
人間の三大欲求には従うべきだ。
「も、いいや。取り敢えず飯食いたいんだって」
もう一度スマホを見れば21時30分前。
あと、30分で食堂が閉まるのもあり、十時はスエットのポケットにそれを仕舞うと、玄関へと向かった。
「この話、また今度な」
一応ここで話を区切ってしまえば、あとはどうにかなるだろう。
もしかしたら一晩寝たら河野の考えも変わるかもしれない。もっといい偽装相手が見つかるかもしれない。
そんな淡い期待を抱き、
「はい、お前らも出てってー」
廊下へと二人を促す。
本当に一人部屋で良かった、なんて呑気な事を考える十時だったが、
「じゃ、僕も行く」
「…は?」
部屋の鍵を施錠した十時の腕に自分の腕を絡める河野はニヤリと笑った。
「付き合って初日、まだまだ二人で一緒にいたい時期に決まってるだろ?」
何それ、お前の恋人設定って結構ベタなラブラブカップルなのね。
なんて、軽口も叩く間も無く、ほらほらと腕を引っ張られ、その後ろには真っ青な表情の前原が。
「ちょ、か、和沙っ…!」
「達樹は付いて来なくていいよ。二人の邪魔する小姑みたいに見えるし」
「は!?小姑って、お前なぁ!!」
あぁ…もう…。
ぐぅーっと自己主張する腹を摩りながら、出てくる溜め息に終わりが見えないと思う十時だ。
*****
生姜焼きに豆腐とワカメの味噌汁、サラダとひじきの煮付けを食べ終えた十時は、今目の前にある皿を見て、身体を固まらせた。
キラキラキラ
そんな幻覚が見える。
入学式と言うのもあり、一年生にだけの特別デザート。
「チーズケーキ、だ…」
艶々とした表面にしっとり感が見て取れる生地。生クリームがくるんと巻かれた上にはベリーが彩りを与え、微かに漂う甘い香りが十時の五感全てを惹きつけてやまない。
「やべ、超嬉しいー…」
フォーク片手に右から左から上から正面から。
きゅっと上がった眦はまるで猫の様で、正面に座ってコーヒーを飲んでいた河野と前原が不思議なモノを見たと言わんばかりの表情だが、そんな不躾な視線も今の十時には気にもならない。
ドキドキとはやる気もちを抑えながらも、顔の表情筋は抑えられないらしく、緩んだ口元と少し色づいた頬は正直だ。
そっとフォークを差し込み、一口頬張れば口内に広がる甘味とクセのある味わい。
う…
(んまい…)
ぎゅうっと眼を閉じ、味わいながら咀嚼する十時の、先程まで憂鬱だった気持ちが少し浮上していくのが分かった。
「うまーい…」
声に出せば、益々美味く感じる。
そうなれば、もう止まらない。パクパクとチーズケーキを食べ進める度に身悶えすると言う奇行を見せつけてくれる。
そんな彼の様子をしばらく見つめていた河野は、
「チーズケーキ…好きなの?」
と大して興味も無い様な声音でそう問えば、
「好きだな」
と簡潔な答え。
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