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それにこれでは、自分がまるで女役を承ると言ってしまった様なものだ。
尤も、楓をどうこう出来るなんて事の方が想像し辛いのは理解しているが、それでもやるせない気持ちになった十時はむぅっと眉間に皺を作り出す。
「お試しなんだから、色々やっとかないと損した気分にならねぇ?」
「…お試しだからこそ、節度は必要かと」
あ、
――――お試し、そうか。
これはあくまでもお試し期間。
十時が楓をどう思っているのか、楓が十時をどう思っているのか、なんて不確かだが、もしかしたら楓自身もそんな感じでは無いのだろうか。
ちょっと面白いとか、楽しそうだとかで、こんな閉鎖的な男子校において、暇も相まってお試しに付き合ってみる。
しかも、志木の手助けにもなって一石二鳥以上だと。
好きになるか、ならないか、なんて、もっともっとその先にあって、まだスタートラインにも立っていないのかもしれない。
そう思ったら一人悶々と考えていたのが馬鹿らしい。
「で、何?」
「え?」
「なんか僕に聞きたい事あったんじゃねーの?」
猫をあやす様に十時の顎を指で撫でる楓はぶっちゃけてしまえば、そこらで歩いている女性よりも綺麗だと言えるかもしれない。
スタイルだってモデル並み、この指一本だって造り物の様だ。
これからの人生、男女含めた所でこんなに美しい人間と付き合える事なんてもう二度と無いだろう。
しかも特大のおまけにチーズケーキを作れるなんて―――。
(だったら、)
この際、この期間をもっと大らかに見ても良いのかもしれない。
小難しく考えずとも、今だけの感情で。
お試しが終わったとしても―――
『どっちに』転がったとしても、
どうせ先にこの学校を去るのは楓なのだから。
「…何でも無いっすわ」
「そう?じゃ、もっとエロいちゅーしようぜ」
自分とは全く違う余裕じみたその態度に、若干癪にも思いながら、楓の眼鏡を慣れた手付きで外した十時は初めて自分から唇を押し当てた。
*****
河野和沙にファンクラブらしきものがあるのは知っていた。
まぁ、あの容姿だ。
女性の居ないこの学校で見ているだけでも、癒されるだとか、眼福だとか、そう言った理由もあれば、純粋に『そう言う事』で河野を見ているのだと言う者も居るのかもしれない。
だからと言って、ファンクラブと言うものが一体どう言う活動をし、何を生み出すのかなんて全く分からないな、なんて
思っていた、そんな昼下がり。
「あ、滝村さんだぁ」
その名前に思わず十時は顔を上げた。
急遽自習になった五限目。
近くに居たクラスメイトから河野と共にカードゲームに誘われた十時は、ぶっちぎりで一番最初に上がり、うちわ片手に悠々自適、ドベ決定戦を眺めていたが、窓際から聞こえて来た声にそろりと視線を向けた。
「まじで芸能人みたい…」
「体の半分脚みたいなもんだしね」
どうもグラウンドに楓が居るらしく、窓から外を覗くクラスメイト達がきゃっきゃとはしゃいでいる。
「学校のジャージとかでもブランド物みたいに見えるのてって凄いよなぁ」
「つか、俺この間初めて真正面から顔見たけど、本当綺麗な顔してたわー」
「同じ制服着てても全然別もんだよね、僕らと」
そんな会話に無意識に耳を澄ませていた十時だが、徐に立ち上がると窓際へと視線を向けた。
ジャージ姿の生徒達がわらわらといるグラウンドでは野球が行われ、ちょうどバッターボックスに立っているのは見慣れた体格。
あんなに高身長で遠目でも分かる筋肉美。
(川添先輩じゃん…)
ぶんぶんと振り回すバットは風が巻き起こらんばかり。こちらに音まで聞こえそうなスイングに周りからも歓声が飛び、しっかりと表情までは見えないがきっとドヤ顔しているに違いない。
そんな想像に思わず笑ってしまう十時だが、その脇では楓が数人の生徒に囲まれ何やら談笑している姿に目を留めた。
確かに、
(目立つなぁ…)
すらりと長い脚は勿論、こんな場所からでも感じ取れる雰囲気が周りの生徒とは全く違う様に思える。
恋人、故の贔屓目もあるかもしれないと思いつつ、志木とは異なるものの人を惹きつけるオーラがあるのは間違い無いのだろう。
未だ隣ではきゃぁーと男子校とは思えない声が上がっているのを横目に頬が緩みそうになるのを抑える十時はこっそりと思ってしまうのだ。
(あの人と…キスとかしてんだよな…)
くだらない優越感だとは分かってはいる。
そんな自尊心なんて持っていたのかなんて自分自身でも驚きだが、
(あの人のチーズケーキも旨いんだぜ)
と言いたくなってしまいそうになる。
(……なんて、ね)
ーーーーーーカッーーキィーン
軽快な打撃音が鳴ったと同時に、背後からは
「はい、河野が最下位っーーーー!!」
「あぁ、もうっ!!!」
とぶすくれた声が響く。
どうやら妙な所でタイミングが合う二人らしい。
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