サブリミナル効果

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今日も平和だと言えば聞こえはいいが、平たく言ってしまえば何の面白みも深みも無い一日がただ過ぎただけ、なんて思った事を――――。 「河野和沙、だな」 今なら土下座して謝罪致します、なんて思う十時は久しぶりにダッシュで逃げたいと心から思った。 誰かを彷彿とさせる堅いのいい生徒達が十時達の行く手を塞いでいる。 どこのどなた様でしょうか。 訪ねた所で懇切丁寧にお返事を返して頂けるか不明な輩の方々ではあるが、名指しされたこの人物ならば、知っているかもしれない。 もしかしたら、御友人?と期待を込めた目で隣を見下ろすも、それはそれは見本の様なハテナ顔で首を傾げる河野には何の期待も持てないらしい。 ネクタイはネイビーでかなり着崩されているが、取り敢えずここの三年だと言う事だけは分かった。 そう、ただ、それだけ。 「おい、河野。聞いてるのか?」 じぃっと前原と共に名を呼ばれるクラスメイトに注目すると段々と彼の眉間に皺が寄って行く。 どうやら本当に心当たりが無いのは見て取れるものの、何だかこの雰囲気、明らかに宜しく無い上に何だかデジャヴを感じる十時はそろりと一歩後ろに下がった…。 が、しっかりと河野に腕を掴まれ、それも不発に。 こう言う時しっかりと野郎の力を出してくるのは如何な物だろうか。 「…僕に何か御用でしょうか」 怪訝そうな声音でそう問う河野は一応敬語を使用し冷静に見えるものの、その腕は青筋を立てんばかりの力が入っているのが伺え、仕方無しに十時も目の前の集団へと視線を送れば、 「お前、川添志木の恋人なんだろ?」 何の予告も無く、投下された爆弾。 きょとんとしていた河野の表情がこれ以上無いと言う程に陰影の濃い険しいものへと変わってく過程を何故にこんな特等席で拝まなければならないのか。理解出来ない十時ではあるが、それ以上に理解出来ていないのは、 「おい、返事しろよっ」 この上級生の方らしい。 前原の顔色もいつも以上に悪い、と言うよりはもう意識があるかどうかも定かで無い。 さて、ここで問題。 一体、この場をどうしたらいいのか。 一応今優先にすべき事は、 「河野ぉー…、落ち着、」 「………はぁあああああ゛あ゛?」 誰が、誰の恋人ってぇ…? 「…………」 ーーーーー予想通り過ぎる。 こうなってしまったら、きっと、十時のやるべき事は一つなのだろう。 ごくりと喉を鳴らし、脚と拳に力を込めたーーー。 ドンドンと扉を叩き、出てきた相手は扉の向こう側に居た顔を確かめると、顰めっ面だった表情から一転、ぽわっと頬を染める。 「え、え、か、和沙っ!!?ちょ、何で、まさか、俺に会いに来た、」 「んな訳無いでしょうーがぁああ!!!」 寮の廊下の先の先まで響き渡る様な声を聞きながら、撫で肩が見事な十時は長く重い息を吐いた。 ーーーーあれからの動きは我ながら完璧だったと言えるだろう。 明らかに不穏漂う空気の中、三年の先輩方、河野が何か言う前に、やらかすより前に行動に出たのだ。 『はいっ!!すみません、本当すみませんっ!!俺等、ちょっとのっぴきならない用事がございましてぇええ!!!』 形相がまるで違う河野を俵抱きし、ダッシュで逃げると言うシンプルかつ大胆な戦法。 いくら小柄とは言え、同級生を抱えた右手は腕ごと持ってかれると思ったが、それでもあそこで起こさなくていい揉め事を起こすよりも賢明だったと思える。 前原も流石にこの時ばかりは俊足を見せ、十時の負担を軽くしてくれると言うナイスアシスト振り。 寮の前まで辿り着き、俺達よくやった…!なんて違いに声に出さずとも親指を立てんばかりにシンパシーを感じていたが、この男だけは違っていた。 「あんたの恋人なんて僕言われたんだからねっ!!」 元気いっぱいの河野だ。 「何か不穏な空気だったし、だから走って逃げる羽目になって、どう言う事なのさっ!」 いや、お前は抱えられてただけじゃん。 あぁ、だから元気いっぱいなのか… いや、そこは今どうでもいい。 結局こうして事の真相を掴もうとアマゾンにでも乗り込む勢いで志木の部屋へと突撃した訳だが、当の本人と言えば、 「え、こ、恋人って…っ!お、俺達、そう見えちゃうのかっ!何だよ、それお似合いって事なのかっ…!!」 知らなかった…と歓喜で顔を両手で覆いながら震えると言う、いらん天然具合を見せつけてくれている。 だが、そんな見当外れもいいとこな志木の態度は火にガソリン投下、漏れガスに引火状態。 ふんぬぅーっと身体中を震わす河野の怒りを煽るだけだ。 「違うよねぇ!?何で僕が先輩の恋人になってるか、って話じゃんっ!ガセじゃんっ!!!!!」 ようやっと落ち着いて部屋で話が出来る頃には、すっかりライフゼロ状態の河野に、 (これくらいがちょうどいい…) なんてこっそり思っていたのは内緒にしておこうと思った十時だった。
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