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「あぁ、それ障害物レースだって」
テスト終わりは誰にでも平等に安らぎを与えるのか、周りの生徒達も普段通りの余裕が戻り、賑やかな寮の食堂の端で、こちらも解放感から声が弾んでいる前原が本日の夕食でもある生姜焼きを持ち上げながら、頷く。
「障害物レース?何それ、そんなのどこの体育祭でもやってる事じゃん」
河野の言葉に十時も確かに特別この学校で恒例だ何だと話題になる様な事なのかと首を傾げた。
「違うって、その障害物は女装するんだって」
「は?女装?」
「そう、華の無い男子校ならではの遊び心満載の苦肉の作だったんじゃないのかなぁ」
確かに、高校の体育祭とは言えど特別親兄弟を呼ぶ事等は無く、ただ野郎共と野朗臭を濃くするだけの催し物。
そんな泥臭い体育祭の中で、女装しての障害物レース等、ノリが良いものならば、やって楽しい、見て面白い、とそれなりに興じれるのかもしれない。
浅知恵とも言われるかもしれないが、結局のところ盛り上がれば結果オーライなのだ。
「だから毎年クラスからそれなりに可愛い子だったりとか、綺麗な人が選ばれるって聞いたんだよなぁ」
「へー…」
やたらと詳しい前原に、そのまま問うてみれば、
「実は俺のクラスからはそれに出る奴がもう決まってて」
「え?早いな。テスト終わったばっかなのに」
「うん、うちのクラスは結構熱い奴が多くて…張り切ってるんだよね」
やれやれと言わんばかりに溜め息に十時もなるほど、と味噌汁を啜った。
(だから河野が適材な訳ね)
分からんじゃないが、この捩じれて歪んだ蝶々結びの様になっている性格の男がうんと言うだろうか。
ちらっと隣を見れば、前原と十時の話をふーんと相槌混ざりに聞いていた河野が、その視線に気付いた。
「何十時、じっと見て」
ほんのりと赤く染まった頬と、照れ臭そうに唇を尖らせる姿は同性目線でも文句無しに可愛いらしい。
「いやーうちのクラスからは誰だろうなぁーって」
こんな風に揶揄ったらもっと顔を真っ赤にして憤怒するだろうか、とにやり笑ってみたが、
「何言ってるのさ、勿論僕が一番相応しいよね」
そう、きっぱりと言ってのける河野はふんっと顎を逸らす。
何を当たり前の事を、と。
思ってた反応と違う。
そんな思いを頬に張り付ける十時に対し、はは…っと乾いた笑いを見せた前原は、げんなりと言った風に肩を落とす。
「…自分を最大限に活かせる事には前向きなんだよ、和沙って…」
「……へぇ」
面倒事を拒む癖に、面倒事を起こす原因になりそうな事には自ら進むとは。
前原の苦労は相当な物だったのだろうと今更だが、思う。飛んで火にいる虫の為に何度も消化活動に勤しんだに違い無い。
「ま、って事は、うちのクラスからは河野だな」
適材と言われていたくらいだ。クラスも満場一致で確定されるだろう。
自分は一体どんな競技に出ようか、そんな事を考えながら、十時も生姜焼きを白米に乗せ、真っ白なそれにタレを染み込ませた。
味の染み込んだ白米程、うまい物は無い。
そんな白米を口いっぱいに、もっもっと頬を膨らませていると、
「お、和沙っ」
すっかり聴き慣れた声と共にテーブルの空いている場所にトレーが置かれる。
「俺等も一緒にいいかっ」
金髪を頭の天辺で結び、ご自慢の上腕筋をノースリーブの服から、これでもかと言わんばかりに見せつけるのは案の定、志木だ。
いいか、と問いながらも答えを待たずして我が物顔で自分の隣の席に着く志木に半ば諦めた様に溜め息を吐く河野だが、『俺等』の言葉通り後からやって来た楓が十時の隣に腰を下ろしたのを確認すると益々眉間の皺を深く作り出した。
「なんか盛り上がってたな、何の話してたんだよ」
早速頭のちょんまげを揺らしながら、生姜焼きを頬張る志木に『体育祭の名物競技について』と十時が簡単な説明をすれば、その隣でぴくっと楓の肩が揺れた、気がする。
「あぁ、あれなぁー。女装しての障害物競争な」
ニヤリと笑う志木の視線も十時の隣へと。
その視線に従い、思わず一年生皆、そちらに顔を向ければ、丸眼鏡を曇らせながら味噌汁を啜る楓。
「…なんだよ」
「いやー懐かしいな、って話じゃん。お前去年走ったじゃねーか」
そんな二人の会話に、えっ!!っと肩を跳ね上がらせた十時がまじまじと楓を見詰めると、これまたちっと舌打ちが聞こえた、気がする。
曇りが段々と取れていく眼鏡の奥から見えた眼には剣呑の色が見え、ひゅぇ…っと間の抜けた声は前原から。
「出たくて出た訳じゃねーよ」
もしかして、渋々のご参加だったのだろうか。
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