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あの日から楓のチーズケーキしか受け付けなくなってしまったなんて、まだ本人には言っていないけれど結構深刻なのかもしれない。
(いや、まじで…)
『色々』と。
(…帰ろう)
初バイト。
一日動いて、慣れない作業。
お疲れ様、自分。
かなり頑張ったと倉本の言う通り、もう少し自画自賛してもいいのかもしれない。
それに、学校以外の楓も、見れた。
「あのー、じゃ、俺も帰ろうかな、」
「は?」
「え?」
ソファから立ちあがろうと中途半端な体勢で此方で見上げる十時をきょとんとした表情で見下ろす楓は首を傾げる。
「何でだよ?」
「は?」
何で、とは?
「いや、終わった…んですよ、ね?あ、まだ何かありました?」
もしかしてまだ何か仕事があったとか。
「はぁー?お前チーズケーキ食べたいんじゃなかったのかよ」
「えっ、それは食べたい!…ですけど」
でも、十時が食べたいのは失礼も承知の上だが、この店のケーキでは無い。
あくまでも『楓が作った』チーズケーキだ。
その辺を分かって頂けているのか、不安だ、と俯いているとTシャツと細身のパンツに着替えた楓が部屋の隅に置いてある小さな簡易冷蔵庫を開け、ごそごそと何やら取り出した。
「ほら、これ」
ホール用の箱から出て来たのは、真っ白なレアチーズケーキ。
ひんやりと冷えているとはいえ、香る匂いも、ビスケット生地もしっとりと色味が濃い。
じわりと口内に唾液が溜まる。
「僕が昨日の夕方作っておいたんだけど、食べねーの?」
そんなの、
答えは一つしか無いではないか。
このロッカー室兼休憩所の部屋で食すのかと思っていたのだが、さっさと裏口から出て行った楓から行くぞ、と指差された先は洋菓子店から徒歩十分程度先にあるマンション。
大体何となく予感はしていたが、そこが楓の自宅らしい。
一応それとなく、何故家なのかとお伺いはしてみたが、
『お前うちの親に見られて―の?』
僕は構わないけどぉ
との答えに身を固くしたのは言うまでも無く。
何を?と聞ける程カマトト振る訳でも、箱入りを気取る訳でも無いのだが、そんな事を言われてほいほいと着いて行くのもいかがなものか。
「はい、ここが僕の部屋な。これ持って先入ってて」
結局来てるのかよ、なんて突っ込みはもうしないで頂きたい。
「了解っす」
チーズケーキが入った箱ごと渡され、マンションの一室に通された十時は恐る恐る扉を開けた。
ぐるりと見れば、真っ先に目に飛び込む白い壁と濃い目の木目床板。
そして、パイプで出来た机に椅子に同じ素材で作られているグレーのシーツに包まれたベッドに、中央にはローテーブルとソファ。
「………」
十中八九楓の部屋だ。
玄関先から大理石で出来たお洒落な家だなとは思っていたが、この部屋も本人同様かなりお洒落でセンスがいい。
月並みな台詞ではあるかもしれないが、ドラマやモデルルームの様な。
テーブルにチーズケーキの入った箱を置き、十時自身もどぎまぎとソファへと腰を下ろす。
ここが楓の部屋であり、そこに自分が居て、座っている。
何とも不思議な気持ちで、まるで現実味を感じないが、母親に少し遅くなると連絡をしなければと現実に返る辺りが何とも複雑な感情を抱かせた。
(いや、いやいやいやいや…)
これではまるで期待しているみたいだ。
チーズケーキは勿論、楓と一緒に居れる時間をただ欲している。
「浅ましいわー…」
『先輩の家にお邪魔してる。遅くなりそう』
簡単にメッセージを作成し、送信。
すぐさま戻って来たメッセージを見れば、『ご迷惑掛けるんじゃないわよっ』と何ともあっさりとした一言に、そのままスマホを閉じ鞄に突っ込むと、丁度タイミング良く部屋の扉が開いた。
「おい、お前そういや紅茶とか飲むタイプ?」
「え、え、紅茶?」
ポットとカップ、そして皿とフォークが乗ったトレーをケーキの箱の横に置くと、ポットをカップへと傾ける。
「朝さんが一時期集めてたんだけどさ。チーズケーキにも合うとか言ってたなーって思い出して持ってきてみたんだけど」
「へぇ、そうなんですか」
真っ白なカップに注がれる淡い色の紅茶からはフルーティーな香り。
室内に広がるその香りに、鼻を動かす十時だが、それ以上に気になるのは目の前の楓。
ただ茶を淹れているだけなのに、どっかの執事の如く様になっている。確実に出来る執事の方だ。
(何なんだ、この人…)
顔やスタイルがいいだけで、こんなにも人間として差が出来るのか。
「十時、これ」
いつの間にかケーキも切り分けられ、真っ白なしっとりとしたチーズが十時の目の前に置かれた。
「有難う御座います…」
「全部食うなら食ってもいいけど」
「マジっすか」
両手を会わせるとすぐ隣に楓も腰を下ろし、少しだけ身体が傾く。
寮内でも殆どこんな感じで時間を過ごしていたと言うのに、ここが楓の部屋だと言うだけで、心臓が煩い。
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