一枚に賭ける

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結論から言ってしまえば、その日楓の家に泊まる事は無かった。 汚れた服は洗って貰い、遠慮無く乾燥機まで使用。 借りた服は流石にデカく、複雑そうな表情をする十時を笑っていた楓だが、 『泊まればいいのに』 この台詞をずっと帰る直前まで言っていたのを思い出すと、少しだけほわんと顔に熱が帯びる。 すっかり暗くなった帰り道、赤い顔は目立ちはしないだろうがもしかしたら気持ち悪い表情にはなっているかもしれない。 ―――知り合いに会いませんように… 若干早めに足を動かし、家路に急ぐ十時の鼓動は早い。 (あぁ…すっげーどきどきする…) 今日は帰宅を許された。 けれど、少し不機嫌そうな楓から出されたのは妥協案。 『じゃ、バイトの最終日には泊まっていけよ。分かったな、十時』 否と言わせない圧と雰囲気にただ頷くだけしかなかった十時だが、それは一体何を意味するのかと考えた時に、居た堪れない気持ちになってしまう。 自分が考え過ぎなのかと思うものの、健全な男子高校生、最後までやっていないだけのキス以上は終えている、一応恋人同士と言うもの。 (え、…いや、まじで?本当に…する?、とか…) 自分の服が入った紙袋の底には食べかけのチーズケーキ。 帰ったら食べなよ、と渡されたが今十時の気持ちを占めているのはこれでは無い。 自分自身理解している。 『お前の食べたい、はさ。会いたいって意味なんだよ』 その通りなのかも、しれない。 このままでは全部楓の事だけを、考えてしまいそうだ。 それが酷く怖くて、狼狽させるのに、これからしばらくは毎日会えるのだと思うと溜まらなく嬉しくも思える十時は両極端なその感情にどうしていいのやら分からず、項垂れるだけ。 さて、ここで自分の気持ちに向き合うのならば。 (俺…先輩の事…好き、になってる?) チーズケーキで餌付けされ、キスでメロメロにされ、快感で堕とされて。 ―――チョロ過ぎるだろ…。 全てが楓の掌で行われている様な、そんな感覚すらもある。 けれど、 (あの人って…俺の事どう思ってるんだろーな…) 一番の問題はそこの様な気がしてならない―――。 夏の夜は昼間よりも断然に涼しい。 けど、暑いには変わりない。 額から流れ落ちる汗を手の甲で拭いながら、一人溜息を吐く十時だったが取り合えず明日のバイトも頑張ろう、なんて拳を握るのだった。 楓の洋菓子店でのバイトを初めて一週間。 5日程で戻ってくると言っていた楓の父でもあるオーナーもまだ戻らぬ侭だが、その間にもだいぶやる事も理解でき、一日の流れも掴めて来た。 倉本も面倒見が良く、十時が質問した事や困っているとすぐに声を掛け、あははと常に豪快な笑顔だ。 ちなみにもうすぐ32歳。 恋人が居り、仕事終わりに直帰しているらしく退勤時の軽い足取りの理由が何となく分かった気がする。 接客にも携わる様にもなった。 朝日子の手が回らない時だけではあるが、注文を取ったり、2、3個だけならば袋詰め位は率先して行う。 悲しいかな、十時の三白眼に一瞬怯む客や、明らかに警戒心を向き出す常連客も居たりもしたのだが、 『楓ちゃんの後輩なの~仲良しさんなの~』 と、ある意味十時の心臓を鷲掴みしてくれる一言をニコニコと笑顔で説明してくれるお陰で朝の清掃時にも声を掛けて貰える様にまでなった。 そんなバイトの始まりは約束をしている訳でも無いのだが、楓とキスから始まる。 今日も例に洩れず、おはようございます等の円満な人間関係の基礎となる挨拶言う前から休憩室に引っ張り込まれ、用意周到に眼鏡を外した楓から、ちゅっとキスを受けた十時はもう顔を赤らめるしかない。 けれど、それを受けると落ち着くと思い出してきたのも事実で、十時自身もすっかりお呪い代わりに受け入れている所もあるのだ。 (…しかも、…きもちいーし…) チョロい上に経験値の無い高校生男子なんてこんなものだ。 好きかもしれない、だとか、相手はどう思っているんだろうとか、そんな物後回しでもいいかも、とか思えてしまう位に、このままゆったりと心地良さに浸っているのも悪く無いかもしれない。 最終日に外泊の予定はあるが、いつも通りの触りっこ程度のものだろう。 なんて、そんな事を考えてしまう馬鹿な生き物なのかもしれない。 だから―――。 「え?」 「だからぁ、楓君が今帰って来てるでしょー。早く呼んでよぉ」 胸元のフリルがだいぶ盛っているであろう胸元をもっと目立たせるノースリーブのトップスに、生足魅惑なマーメイドにも負けない、きゅっとタイトなミニスカート。 軽く巻いた髪を緩めに纏め、ブランド物のバッグを肩に掛けたこの女性。 店に入るなり、丁度休憩中の朝日子の代わりに店番をしていた十時へと、そう告げると、ふんと腕組みする。 何だろう、この不遜じみた態度。 誰かを彷彿とさせる。
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