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 日頃の、のっぺらとした無表情なうりざね顔をした能面を、鬼気迫る般若に変化させたAは、暫くの間バットを縦横無尽に振り回し、手当たり次第に備品を破壊しまくり息を荒くしていたが、追い掛け回される先輩社員達ときたら、要領よく、さっさとバットの軌道を回避し、声もなく淡々と逃げ回り続けている。  暖簾(のれん)に腕押し(ぬか)に釘状態なものだから、流石にAも肩で息を切らしている。ガリ勉のAである、人生でバットを振り回す機会など、殆どなかったであろう。これもまた経験の差である。何しろ我ら先輩社員達は、毎年暴れまわる新入社員には慣れっこになっているのだ。そして自分達もかつて一度は狂った、経験者でもある。Aにとっては、一世一代の清水の舞台から身投げする程の反抗であったろうが、世間的には何の価値もなく、驚くにも(あたい)しないことが、またもや証明されてしまっているのである。  酸欠により悟りの境地に達し、アドレナリンがノルアドレナリンに圧倒され脳細胞が不安と恐怖に侵食されてゆく、脳内の勢力図は塗り替えられ、Aの表情も能面へと戻ってゆく。皆わかっているのだ、要するにAは皆に構ってほしいのである。
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