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それから小さくため息を落として、啓一郎は何かを確認するように周囲を見回した。
「どうやらここはあやかしが集まる宿のようだ」
「やっぱり、そう思うか?」
啓一郎の声に京介はにんまり笑う。
「さっき風呂で小さな手足のついた手桶が忙しそうにどこかへ走って行ったぞ」
「へぇ。そういやここに来た時も廊下で雪駄が運動会してたな」
ほかにも急須と湯呑がテーブルの上でなぜか相撲をしていた。
それを見た若女将の凍り付いたような顔が忘れられない。
「――裏があったということだ」
啓一郎はため息混じりに京介を睨んだ。
どうして二人がここに来ることになったのかというと――思い返せば数日前。
彼らの裏向きの仕事を終え、事後処理のため訪れていた事務所でのこと。
折しも啓一郎は別の仕事で別行動だった。
「今回も無事片付いて、ご苦労だった」
妙に機嫌よく笑う好々爺――京介はこっそりじじいと呼んでいる――上司。
生え際に白いものが目立ち始めた初老の男だ。
仕立てのいいスーツにきっちりネクタイを締め、好々爺の笑顔だがその目は鋭く威圧感がある。日頃、嫌味しか言わない男が妙に機嫌が良かった。
(――まあ、それに越したことはないのだが)
「お前たちの休暇が溜まっていただろう? そろそろ年次消化しておけ。ちょうどいい温泉宿を見つけたんで予約しておいた。啓一郎と一緒に骨休めに行ってくるといい」
今から思えば背筋が寒くなるぐらいの笑顔だった。
で、訪れたのがこの旅館。
「――だいたい、話がうますぎると思ったんだよ」
京介が苦く笑いながら身震いして浴衣の腕をさする。
「考えてみりゃ骨休めしろなんて、あのじじいが言ってくるとは思えなかったんだよなぁ」
「……お前は日ごろの行いが悪すぎる」
ため息混じりに天井を仰いだ京介を横目に睨んで切り捨てた。
困ったことにそれは言いえて妙である。自覚はないのだが、何かと問題を起こしてしまう。本人は良かれと思ってやっているのだから困ったものである。
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