あやかしのお宿

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 今晩のメニューはヤマメの塩焼き、イワナの刺身、季節の山菜の天ぷら、山芋の入った茶わん蒸し、猪肉の入った蕎麦を堪能する。デザートは自家製ブルーベリーたっぷりのムース。山の幸をふんだんに使った豪勢な食事だ。  二人は夕食を一通り平らげて食後の茶をすする。 「――何が原因か分かってるのか?」 「分かりません。でも、誰もいないはずの部屋から人の声がするんです」  と青い顔で話し始めたのはこの宿の大女将。  藤色の色無地、グレイに染めた髪を綺麗に結い上げた妙齢のご婦人。斜め後ろにはこれまた疲れた顔の若女将。  化粧で隠した目の隈から察して、隠しきれない疲れがあるらしい。 「声?」 「ええ。他にも閉めたはずの障子が開いてたり、置いたはずの物が他の場所にあったり、この間は花を生けた壺が逆さまになっていました。脱いだはずの履物がどこかへ消えたり、目の前でお茶碗に手足が生えて逃げ出した時には言葉を失いました。今では常連のお客様もすっかり足が遠くなられまして」  分からんでもない。  いくら立派な旅館でも客が来なければ死活問題。  ここは隠れ家的な雰囲気もあって人気のある高級旅館だ。いわゆるそういう利用客もいるわけで。醜聞や悪評はご法度だろう。 「――付喪神と座敷童だな」  湯のみを置いて、ぽつりと京介が言う。  言われた意味が分からなかったのだろう女将は眉間を寄せ、若女将は目を丸くする。 「悪戯をするのは座敷童だろうな。話し声は付喪神だろう。さっき湯呑やらが相撲してたのはまさしくそれ。大事にされた古い物には魂が宿るって聞いたことあるだろ? ヤツらは別に誰かを怖がらせようとか悪気があってやってるわけじゃないんだが、知らない人間にとっちゃ恐怖以外の何物でもないな」  障子の向こう側に感じる気配。大きさから察して子供。  京介が視線を向けると慌てて消えた。――それは人の気配ではない。 「座敷童は家を栄えさせるが、居なくなると困ったことになる」  のんびりと呟く京介に応じるのは啓一郎。
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