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「いきなり何するんですか」
触れられた唇をゴシゴシと擦りながら一色は隣で何食わぬ顔で車を発進させた橘をじろりと睨みつけた。
「お前の尻拭いだろうが。ボケーとしてるからつけ込まれる」
「ボケっとなんかしてません。そもそも何も教えずに現場に出す経営者に問題があったのでは?」
「いい勉強になっただろ。呪いと生き霊が一緒になるレアケースだ」
「レアケースの前にスタンダードコースを学ばせるべきでしょう」
「ああ言えばこう言う面倒くさい奴だな」
「理解出来るように説明してくださいと言ってるだけです」
ボスン、と一色は座り心地の良いシートにもたれかかった。頭はスッキリしているが泣いたせいか初仕事のせいか身体がどこかふわふわしている感じがした。少し腫れぼったく感じる目を軽く閉じる。
しばらくして面倒くさそうに隣から短いため息が聞こえた。
「生き霊を無理矢理祓うのはリスクが高い。生き霊の本体へのダメージが大きいからだ。だから基本的には器に移し替えてから処理をする」
「このウサギに?」
もふもふの毛並みを手で撫ぜる。落ち着く。
「そんな気の抜けたもんに移すのはあいつくらいだが…まぁ、そういうことだ」
「これに移してどうするんですか?」
「ケースバイケースだな。時間解決を待つこともあれば本人の所へ行って説得することもある。何にしろ面倒くせぇ事に変わりはない」
ジッ、と橘がジッポを回した音が聞こえた。しばらくして煙草の匂い。いつものとは違う銘柄のようだ。微かにミントの香りがする。
煙草は嫌いなはずなのに、気持ちが落ち着く。
車は変わらずに道を進む。規則的な低周波の振動に意識が少しずつシートの奥に沈んでいくような感覚がする。
耳障りの良い橘の低いバリトンボイス。
「生き霊は感情の塊だ。お前がその感情を取り込み代弁する事でさっきみたいに祓いやすくなる」
だからってあの解決方法はないでしょう。
そう言いたかったのにもう一色の口は開かなかった。
「———だから、お前は今日良くやった」
その言葉が耳に届く前に一色は深い眠りへと落ちていた。
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