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ガチャリ、
部屋の扉が開く。
「あー良かった!来てくれて」
「……手短に説明しろと言いたかったが大体解った」
部屋に入ってきた橘は面倒臭そうに頭を掻いた。
「社長がちゃんと説明しないからこうなったんだよ」
「あ?俺はちゃんとド新人だから面倒みろって言ったじゃねぇか」
「言葉足らずすぎ!こんな憑かれやすい体質だなんて聞いてないよー」
圭太が頬を膨らませてその場で地団駄を踏む。きゃいきゃい文句を言いつづける圭太の横を通り過ぎて、部屋の隅でぬいぐるみを抱えて立ち尽くす一色の前に橘がやって来た。その黒い瞳が自分を捉えると、どきり、と一色の胸がなる。前もそうだ、この目に見つめられるのが怖い。
「これは憑かれてるとはニュアンスが違うんだよ」
「なにそれどーいうこと?」
「………ひでぇ顔だな」
橘は一色の頬に手のひらを寄せて可笑しそうに笑う。普段の澄ました顔の一色とは違う、眉は下がり目は赤く、唇がつん、と尖っている。まるで、今にも泣き出してしまう子どもの様な表情だった。
圭太はそんな一色を見て判断に困り橘を呼んだのだ。
「依頼者まだ待たせてんだろ。お前はそっちの相手してこい」
「社長はー?」
橘に左腕をぐっと掴まれて身体がつんのめる。そのままドアに向かって足を進める。
「俺はこいつの後始末だ」
ドアを閉めるときに室内を振り返った橘は至極当然のように圭太に向けて笑みを作った。
橘の運転する車に乗せられ、一色は通り過ぎる人並みをただ眺めていた。たくさんの人がいるがあの人もこの人も誰も彼も自分とは関わりのない人間。
だって誰も私の傍にいてくれない。
誰も傍に?今のは違う。自分ではない。
一色はゴツンと少し強めに助手席の窓ガラスに頭をぶつけた。
「おい、壊れる」
橘の方をじろりと見る。こちらを見ずに運転するその横顔は精悍な顔つきで男らしい、と思う。
いや、違う。これは強面と言うんだ。精悍な顔つきなんて、この男を美化しすぎている。
自分の中で考えがまとまらない。
「……随分と困ってるようだな」
橘が鼻で笑う。一色は相変わらず何も言わなかった。口を開きたくないのだ。
そんな一色に構わず橘は言葉を続ける。
「もういいぞ、何でも聞いてやる。話せ」
一色の唇が震える。表面張力でもっていた目からぽろっと涙が落ちた。
口を開きたくないのにその声に抗えない。
「………つらい」
一色から声が漏れる。耳をすませないと聞こえないほどの小さな声。
信号が青になり車がゆっくりと発進する。橘は変わらず前を向いたままだ。
「辛くて、堪らないんです。彼女にとっては彼は唯一の人だった」
一色の頭の中には生き霊となった彼女の記憶が、想いが駆け巡っていた。
昔から人付き合いが苦手だった。友だちもうまく作れなくて、どんどんと内向的になっていった。社会に出ても同じだった。素直に先輩に頼ることも出来ず、とにかく早く一人前になろうと努力した。結果的に仕事は出来るようになったが男性社員から疎まれ、女性社員からは怖がられるようになってしまった。でももう彼女は諦めていたのだ。自分が誰かに求められることはないと。
そんな時に5つ下の後輩で、彼が入社してきた。彼は自分を怖がることなく接してきてくれた。
こんなに優しいのに、何でみんな分からないんスかね?
そう言ってはにかむように笑う彼が好きだった。想うだけで良かったのに、いつしか思いが通じ合い、付き合えることになった。
本当に本当に幸せだったのだ。
「それなのに裏切られてしまった。悲しかったし、憎かった」
憎くて仕方なかったけどそれでも彼が好きで。怒りは自然と今回の依頼者へと向いた。あの子さえ出て来なければ今も幸せでいれたはずだったから。
涙が止まらなかった。泣きたくなくても一色の力ではどうしようもなくてただただ溢れ出る涙を袖で拭うことしか出来ない。
「良く分かった」
橘の低い声が聞こえた。
落ち着いた大人の男の声。彼は少し子供っぽかったから彼とは違うその声色にドキリとした。
「みんな見る目がないだけだ。世の中にはもっといい男も、貴方を必要とする男もたくさんいる」
「そんな、無責任なこと言わないでください。そんな人はいない、彼女にとっては彼しかいないんです」
反論が思わず口をつく。
泣きたいし怒りたいそんな気持ちだった。
橘が左手で車のハザードランプを点ける。
カチカチと音を立てながら路肩に寄せて停車した瞬間、
「んむっ!」
ぐっと頭を引き寄せられて強引にキスされた。驚きのあまり一色は目を大きく見開いてフリーズするしかない。
橘はわざとらしく、ゆっくりと口を開いた。
「どうだ?少なくとも俺はそいつより良い男だろう」
「!!?」
かぁっと頬が熱くなった。
そして次瞬きをした時には心の中を支配していたモヤモヤも、手に抱いているウサギのぬいぐるみの重さも、すっかり消えて無くなっていた。
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