例えば、こんな始まり

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「悠ちゃーーーーーーーん!大丈夫だったぁー????」 「うわっ!」 翌日事務所のドアを開けた瞬間、一色は圭太のいきなりタックルを腹に受けるはめになった。地味に力強くて思わずその後頭部を睨みつけた。しかし顔を上げて、上目遣いに一色を見る子犬のような圭太の姿にその怒りは急降下した。可愛いは正義。 ふんわりとしたその頭に手を置いて一色は優しく微笑む。 「ご心配おかけしてすみませんでした。もう大丈夫ですよ」 「本当に!??社長にも何もされてない?お尻は無事???」 「わきゃっ!」 「………悠ちゃん、かーわーいーいー」 いきなりお尻をさわさわと触られて驚いて変な声が出た。揶揄われたことが悔しくて少し唇を尖らせる。そんな一色を見て圭太はニマニマとしていた。 可愛いからって騙されてはいけない。ここで働けている限りこの人も100パーセント善人ではない。 未だに尻をさわさわしているその手を掴んで引き剥がす。 「そちらもご心配なく。私とあの人が、なんて有り得ません」 昨日どうやら車で寝てしまったらしく、今朝起きると橘のベッドに寝かされていた。しかし当の本人はどこにもおらず、今さら帰るのも面倒だったのでシャワーを浴びて事務所に顔を出したのだ。ひょっとしたら橘がいるかと思ったがここにもいないらしい。 「コーヒーでも淹れましょうか」 「僕ココアー」 「はいはい。分かりました」 キッチンに立ってお湯を沸かす。 自分の分だけならドリップじゃなくていいかとインスタントの粉を入れる。圭太のココアも作ってソファーに座る彼の前にコトンと置いた。 「それにしても水くさいなぁー」 「え?ココア薄かったですか?」 ミルクで割ったココアは一色のコーヒーの香りを打ち消すくらい芳醇な香りをしている。 圭太はぶんぶんと首を振った。 「そうじゃなくて。生き霊に憑かれちゃった時のこと」 「あれは憑かれたというか、なんというか」 「どうして僕を頼ってくれなかったの?何聞いてもだんまりで本当に心配したんだからね」 「………それは、すみませんでした」 あの時一色は意識はあった。生き霊の感情が駆け巡ってはいたが圭太がこちらへ呼びかけていた事も分かっていたし、声を出すこともできた。 「ねぇ?なんで?僕ってそんなに頼りなく見える??」 圭太がガラステーブルから身を乗り出して一色へと詰め寄ってくる。キッとつり上がった眉が不満を表している。 「ええっと、その……」 「何???!!」 尚も詰め寄ってくる圭太と一色の距離はもはや顔のピントが合わないほど。 一色は視線をカップへと逸らして、小声で呟いた。 「…………年上の、プライドです」 一色の言葉に圭太の大きな目がさらに大きくなる。開いたままの口から力のない声が落ちた。 「えっ?ごめん、もっかいお願いします」 「———っ、だから!あのままだと情けない事を言ってしまいそうだったので、そんな所を見られたくないっていう些細な年上のプライドです………」 恥ずかしさからかどんどん尻すぼみになっていき最後の方は消え入りそうな音量だった。 「…………」 「…………」 しばらくの沈黙。 それを破ったのはこの場にそぐわない大きな笑い声だった。 「あはははははっ、お前、それはないだろ」 「!?橘さん?どこに居たんですか!」 ここには居ないと思っていた橘が腹を抱えながら出てきた。どうやらパーテーションの向こう側に隠れて盗み聞きしていたらしい。 橘はソファーに座る一色の後ろへと歩いてきて頭に手を置いてぐんっと体重をかけてきた。 「圭太の方がお前より年上」 パチクリ。 今度は一色が目を大きくする番だった。
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