例えば、こんな最悪の日

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「と、とにかく、悠ちゃん!いや、猫ちゃん離れて」 再度無理やり離そうと試みるが小柄な圭太ではどうにも上手くいかない。その間も一色は小さな声でマァーウ、マァーウと鳴き続けている。 「圭太くん、一旦落ち着こう。凄く嫌がってるみたいだ」 斎藤が一色の背中をぽんぽんと優しく撫ぜた。途端に一色はみゃう、と鳴き声を変える。 斎藤の首筋から顔を上げた一色は目を細めて唇は嬉しそうに弧を描いた。 「……虎徹?」 斎藤がぽそりと呟くと一色は身体を起こして斎藤の顔をじっと見つめてからニャッ、と短く鳴いた。 「虎徹ーーー!!!!」 斎藤が一色の頭を抱え込んでその髪をわしゃわしゃとかき回す。一色も普段の穏やかな笑顔とは違って華が咲いたような顔で笑う。 そしてちろり、と赤い舌を出して斎藤の頬をぺろぺろと舐める。 斎藤はすごく嬉しそうに鼻の下を伸ばしまくってそれを受け入れていた。 「…………いや、いやいやいやいや!!ダメでしょ!」 その光景を呆然と見ていた圭太が我に返り叫んだ。 「この子、うちの猫なんだよ。1年前に病気で死んじゃった黒猫の虎徹!!」 「にゃ!」 一色まで猫語で返事をして頷いた。 「甘えたな子で、僕に付きっきりだったから寂しくしてないかなって心配してたんだ。そうか、やっぱり僕の側に居たかったんだね」 斎藤は一色の頭から背中にかけてを優しく摩る。その度に一色はまるでマーキングのように上半身を斎藤に擦り付けて喜んだ。 先程見せてもらった斎藤の猫の写真と一色に入っていった猫がなんとなく似ていると思った圭太の勘は間違っていなかったらしい。 死んでしまっても飼い主の側に居たかったのだろうか。こうして種族は違っても身体を手に入れて、再び大好きな人と触れ合えればそれはたしかに嬉しいだろう。 「いや!無理!受け入れられない!!悠ちゃーん、正気に戻って!!と、とにかく、悠ちゃんから猫ちゃんを出さないと!」 圭太は自身のカバンをごそごそと漁り、除霊の道具を取り出そうとするが焦りからか半ばパニック状態だ。 (だって、悠ちゃんの猫化!エロいんだもん!) 「お前らは、なんだってこう厄介な状況をつくるんだ」 唐突にため息まじりの低い声が聞こえた。 圭太がカバンから顔を上げると眉間にシワを寄せた橘が一色の首ねっこを捕まえて思いっきり斎藤からひっぺがしたところだった。 「社長ーーー!!!来てくれるって信じてた!!」 少し涙目になった圭太が橘の背中に飛びついた。それを鬱陶しそうにチラリと見て、橘は目の前にいる一色に意識を向けた。 一色は斎藤から離されて不服なのだろう、目を釣り上げて橘を睨みつける。 「ハッ、俺を威嚇とはいい度胸だ」 「悠ちゃんどうしようーー」 「あ?除霊するに決まってるだろ。とりあえず連れて帰るぞ」 橘は一色を引きずるようにして扉の方へと向かう。 「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」 それを制したのはようやく立ち上がった斎藤だった。 「すまないが、虎徹は、その猫は僕の大事な猫なんだ!除霊してしまうと消えてしまうんだろ?そんなのは嫌だ!ずっと一緒にいたいんだ!!!」 斎藤は一色の身体をぐっと抱きしめて自分の腕の中へと閉じ込めた。主人に抱かれて嬉しそうにその身体にしがみつく一色の姿に橘はいつもの二割り増しで眉間にシワを作る。 「ソイツは人間だ。猫じゃない」 「それは分かる。でも、僕の最初の猫なんだ。捨てられてたところを見つけて毛布に包んだ、あの時の可愛い虎徹なんだ。もう一度虎徹と離れるなんて嫌なんだよ」 そう言って斎藤はぽろぽろと泣いた。 一色も悲しそうににゃーん、と一言鳴いて頬を落ちる涙をぺろり、と舐めた。 「…………」 「っ!!斎藤さん、落ち着いて!社長が怒ったら怖いんだよ!?!」 「黙れ」 「……はぁーい」 空気が悪くなりそうだったので気を利かせて割って入ったつもりだったが何も役に立たなかったらしい。橘に一蹴されて圭太は黙って一歩さがった。 「いいか。今のこの猫の状態はまだ正常だ。ただ成仏していないだけの段階。これを放っておけばそこらにいる動物霊に喰われる。動物霊は厄介なんだ」 橘は1から10までを話すことを嫌う。その橘にしてはやけに丁寧な説明だった。一言に動物霊と言っても動物が死んだものを言うわけではない。古くからその地にいる神使落ちの狐や、蛇、人間の思念が動物の形を作ることが多い。それらは弱い立場の動物の幽霊たちを取り込んで力に変える場合がある。そして力が強ければ、人をターゲットにすることだって皆無ではない。 「それはソイツに取り憑いてても例外ではない。万が一その状態のまま喰われたら、猫もろともソイツも死ぬかもな」 橘の鋭い視線に斎藤の肩がビクリと揺れた。 「で、で、でも、でも、虎徹は凄く怖がりの甘えたなんだ。そんな虎徹を無理やり除霊するなんて、可哀想だっ!!!」 「斎藤さん、猫愛は分かるよ!分かるけどもっ、空気を、読んで!」 圭太もどちらかと言えば空気を読まない方ではあるがツッコミ役の一色不在となればその損な役回りが回ってくる。これ以上橘の機嫌をそこねれば失態を犯した自分へのペナルティが倍増することは明白だった。 「じゃあ無理やりじゃなきゃいいんだな」 「えっ??」 橘は心底面倒臭そうな顔をしてから圭太の持ち込んだカバンの中を漁る。そこから和紙で作った札を取り出して、ペンで文字を書く。 札を人差し指と中指で挟み額の前に持ってきて小声で呟いた。 「社長、まさか……」 圭太はごくり、とツバを飲んだ。 橘はいつも通りの大股で斎藤の元へ行くと、その札をぺたり、と斎藤の額へと付けた。
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