例えば、こんな最悪の日

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「もーーー、悠ちゃんごめんってばぁ」 事務所のデスクで事務仕事を片付けている一色の後ろで圭太が全く悪びれた様子もなく口先だけの謝罪を口にしていた。 一色はフル無視してキーボードを叩く。 今回の失態、猫耳をつけるハメになり、あげく猫にも取り憑かれ、斎藤という初対面の人間に擦り寄るという恥を晒し(ちなみに斎藤はあの時の虎徹一色バージョンがいたくお気に召したらしく、くれぐれもよろしくとのことだ。何をよろしくすればいいのか)、挙句の果てに橘と、あんなことになってしまった。思い出すだけで恥ずかしいし、情けない。穴があったら入って5年ほど過ごしたい。いや、あれは悪ふざけをした橘が主に悪いのは分かっているのだが、そうなってしまった元凶はやはりこの見た目だけ可愛い男だ。 「でもでも、悠ちゃんが動物霊にも取り憑かれるなんて思わなかったんだもん。それに動物霊だったのも不可抗力だし」 領収書というのはどうしてこうもすぐ溜まるのだろう。あとこの70万越えの領収書が通ると思ってるのだろうか。 「あ、悠ちゃんあの後社長が連れかえっちゃったからお土産貰えてないでしょ?僕悠ちゃんの分も貰ってきたよ!紅茶!!」 「…………ロンネフェルトでしたか」 滅多に手に入れることが出来ない高級茶葉。それを目当てに参加したといっても過言ではない。実は貰いそびれたことを後悔していた。 「もちろん!!僕の分もあーげる!」 一色の正面に回って自分の顔の前に小さな茶色の紙袋を掲げる。あざとい。 「もう二度とあんなところに連れてかないでくださいね」 「おっけーおっけー!!約束するね!悠ちゃん大好きーーー!!」 ぎゅーっと抱きしめられる。案外怪力の圭太の本気の抱擁はかなりきつい。背中をタップしてギブアップを伝える。 かなり軽い約束だったので信用には値しないのでこれからは物に釣られずに自衛しようと一色は心に誓った。 「にしても悠ちゃん、動物霊見えないのに取り憑かれちゃったらどうしようもないよねぇ。生き霊なら視えてるからまだ対処の仕様もあるけど」 「そうですよね。なにか対策考えないと、ですね」 「まぁ動物霊自体珍しいからそうそうないとは思うけど」 「でも今回みたいなのは本当に勘弁して欲しいです」 人生で1番最悪な日だったといっても過言じゃない。一色は深くため息をついた。 「一色」 事務所のドアが開いて橘の低い声に、びくり、と肩が揺れた。 昨日の今日で顔を合わせるのは正直少し気まずい。あの後呼吸を整えた一色はとにかく橘の顔を見ずにティッシュでささっと処理をして(少し取り乱したため橘の股間も綺麗に拭いてしまった)、身だしなみを整えて逃げるように帰路についた。ホテル代は問答無用で押し付けることに決めた。 「聞こえているなら返事をしろ」 橘は気まずさなど1ミリも感じていないのかもう10時だというのに黒のスウェットのままでゆっくりと一色の傍まで歩いてくると頭を軽く小突いた。 「なんですか」 「いちいち可愛くねぇなお前は。猫の時は可愛げもあったのにな」 「はっ?なんの話ですか!!!……っ!」 一色の顔面に向けられたスマホの画面には、圭太に猫耳を付けられていたの時の自分の写真。 「削除してください!」 「こんないいネタ手放すわけねぇだろう。消してほしかったら…そうだな、1万で手を打ってやる」 「はぁ?………なんですかコレ」 言い返そうとした一色の頭の上にガサリと小さめの何かが乗せられた気配がして、思わず落ちないように両手で抑える。 「付けていろ」 白い紙袋の中にあったのは朱色の細い指輪だった。 いきなり指輪を貰う意味も分からず首を傾げていると圭太が指輪を覗き込んで良かったねぇ、と笑った。 「左手の小指につけるといいよ。悠ちゃんを動物霊から護るためにくれたんでしょー?社長ってば優しいよねぇ」 「ああ、そうなんですか。えぇっと、ありがとうございます」 「今回みたいな動物の霊のみに絞ってるからな。それ以外は自分で対処しろよ」 橘はそれだけ伝えると煙草に火を付けて、寝直す、と部屋を後にした。 言われた通り左手の小指に付けると何故かぴったりであの人測ったのかなと一色はその気持ち悪い姿を想像して小さく笑った。
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