例えば、綺麗なもの

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気のせいだろうか。 夜10時、事務所を出て駅まで歩く。事務所のある辺りはお世辞にも賑わっているとは言えず、雑居ビルに点々と明かりはついているものの暗く狭い道も多くあまり人通りもない。すれ違う人たちも酒に酔っているか、猫背で俯き加減か、刺青が入っているか、まぁ何にせよ子育て世代がいたいと思うような街ではない。 一色は後ろをちらりと振り返る。暗い道が続いているだけで特に人影は見当たらない。 視線を感じたように思ったが勘違いだろうか。 平然を装いつつも、一色はいつもより少し早歩きで駅へと向かう。 タ、タ、タ、タ、タ、 一色の足音に重なるように後方から微かな音がする。悟られないように神経を後ろに集中させる。雑音に混じって足音は確実に近くなっている。 試しに駅とは違う方向へ曲がってみたが離れる様子もない。どうやら本格的に尾けられているようだ。 さて、どうするか。 携帯を取り出してロックを外す。万が一のことを考えるとすぐに繋げるようにするべきだ。 110番。いや、証拠もないし何より男の自分が尾けられているんですと助けを求めるのも恥ずかしい。 圭太はまだ出張中だし、こんな夜に年下の透や瀬崎を呼び出すわけにもいかない。ここから近くにいてすぐに来れる人物なんか1人しかいない。事務所を出る時にも暇そうにソファーに寝転がっていた。呼びだせば面倒くさがりながらもこちらに来てくれるだろう。 そう頭では分かっていても頼りたくないと思ってしまうのは、どうしてだろうか。 (まだ少し距離があるな) 角を曲がると同時に一色は全速力で走り出した。後ろから聞こえる足音が一拍遅れて早くなる。 とにかく人のいるところへ、一色は煌々と明かりのつくコンビニまで振り返らずに走った。
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