例えば、綺麗なもの

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スーパーへの道のりもあと半分に差し掛かった時、ポケットに入れていた携帯が鳴る。橘からの着信にスワイプして応答する。 「は「お前今どこだ」 はい、と言う一色の応答が橘の低い声に遮られる。 「生クリームを買いにスーパーです」 「あ?生クリームならそこのコンビニにあるだろう」 「売り切れだったんですよ。どっかの誰かが生クリームパーティーでもしてるんですかね?」 「チっ。なんだその気色悪いパーティーは」 「同意」 一色は公園へと入る。この公園を突っ切るとかなりの近道になる。高めのフェンスと木で周りをぐるりと囲まれている敷地は大きめの公園だが寂れたブランコとジャングルジムがあるだけで子ども人気はない。昼間はくたびれたサラリーマンがベンチにぼんやり座っていたり、夜は男女がこっそり野外プレイを楽しんでいたりするあまり評判の良くない公園だったりする。まだ時間帯が早めなのでそういうことをしたい人間もいないようで公園に人気はない。 「橘さんどこか向かってるんですか?」 橘の後ろの音が事務所ではない。僅かに聞こえる橘の息遣いも荒いような。 「お前のせいだろ」 「え?何がですか」 「いいか、良く聞け。……ザッ、…ガ…げろ、——ザザっ……ザッ…」 「ノイズが激しくて聞こえな——…」 ノイズ? さっきまで何ともなかったのに? 一色の足が止まる。 携帯にノイズが走る原因。電波が悪い、携帯のマイクなどの不具合。 橘はどこか慌てていなかったか。良く聞け、と言った、何かを自分に伝えようとした言葉を遮るかのように突然のノイズ。 電子機器に異常が見られる原因は他には、 視線の先に1人の男。ぽこりと前に突き出た腹に薄めの頭、くたびれたスーツ。 早織のところにいたあの生き霊だ。 俯き加減だがジトっとした視線を感じる。ここのところ感じていた視線はコイツからか。 一色は生き霊の方へと一歩ずつ足を進める。姿を見せてくれたのはむしろ好都合だ。どうして自分を付け回していたのかは分からないが早織の時のようにさっさと消えてもらおう。 手を伸ばせば届く距離、一度深呼吸をしてからゆっくりと触れようとしたその時、俯いていた顔がバッと上がって真っ黒な目をした生き霊と視線がカチ合う。 「……っ、」 綺麗、綺麗、綺麗、綺麗、綺麗、キレイ、キレイ、キレイなものは好き、綺麗なものは僕のもの、キレイなもの、綺麗、キレイ、キレイなものは、綺麗にする、もっともっと綺麗にする、綺麗、綺麗、キレイ、僕が綺麗にする、キレイだから、僕のもので、もっともっと綺麗に、キレイにする!!!!! 心の中になだれ込む感情にふいをつかれた一色の身体が僅かに揺らぐ。 課長の生き霊は尚も一色を食い入るように見つめている。 (しっかりしろ。この位の事に対処出来なくてどうする) 一度ぐっと両手を組んで気持ちを落ち着ける。 手を伸ばして再度触れれば、なだれ込む生き霊の感情。 綺麗なものが好きだ。自分にはないものだから。 綺麗なものが好きだ。汚いと言われ続けてきたから。 綺麗なものが好きだ。自分も綺麗になりたいから。 綺麗なものが好きだ。お母さんが好きでいてくれるから。 綺麗なものが好きだ。綺麗だったらよかったのに。綺麗にはなれない。だから綺麗な人が好き、だから綺麗な人が嫌い。 クラスメイトからいじめられた幼少期。机や教科書にはブサイク、汚い、と何度も書かれた。いつしか母親が話をしてくれなくなった。父親ともたくさん喧嘩をするようになって、そして出て行った。母親がいなくなったのはお前のせいだ、と父親は言った。 ああ、そうか。綺麗好きだった母は自分が綺麗ではないから嫌になったんだ。 妙に納得できた。 いつしか綺麗なものを崇拝する気持ちと、憎く思う気持ちが身体から溢れ出した。 「大丈夫、あなたは汚くありません。あなたは魂です。魂はどんな人も同じ、キレイな丸い形なんですよ」 生き霊をゆっくりと抱きしめる。尖った生き霊のオーラを丸く、丸く、形を整えていく。 「だから、大丈夫、もう綺麗なものを追いかけなくても壊さなくても大丈夫です」 黒く重たかった生き霊のオーラが少しずつ浄化されて丸くなる。それに伴って人間の形だったものがどんどんとボヤけて消えていく。 5分ほどかけて手のひらサイズになった生き霊は、風に吹かれ、一色の手のひらからふわりと光って消えていった。
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