例えば、綺麗なもの

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「何て声してんだ」 橘が半笑いでそう言う。 「だって、だって!貴方、刺されてますよ!」 左脇腹付近にしっかりとナイフが刺さっている。血も流れてナイフの柄からぽたぽたと垂れている。 「そうだな」 「いやだから、こんなのほほんとしたやりとりをしている場合じゃないでしょう!救急車!応急処置!119番!110番!」 「………落ち着け。まずはそれより、」 駆け寄った一色の頭にぽんと手を置いた橘が一拍置いて前を見据える。そこでようやくテンパっていた一色もそちらに目をやることが出来た。そうだ、橘の傷も心配だがその傷をつけた人間がまだここにいる。 一色は橘を守るように犯人との間に入る。 目の前には呆然とした様子で立ち尽くす、見覚えのある顔。 つい先ほど嫌というほど向き合ったあの男だ。 「課長さん。どういうことですか」 一色の声にビクッと課長の肩が揺れる。 「君がいけないんだ。君には僕以外必要ないのに。君は僕の理想なんだ。顔も、身体も、声も、何もかもが綺麗で、僕に相応しい。僕のものだ。君は、僕のものなんだよ」 「……私の部屋にアレを置いたのも貴方ですね」 「ああ、そうだよ。受け取ってくれていたね。凄く凄く嬉しかった。僕の気持ちを分かってくれたんだよね」 ゾクっ 背中を悪寒がかける。 課長は不自然なほど口角を上げて笑う。一切笑っていない、むしろ感情すらないかのような暗い瞳がひどくアンバランスだった。 「君が悪いんだよ。僕以外の男を見た。僕以外の男にそんな顔をする」 男が一歩、近づいてくる。 一色は一瞬後ろにいる橘を気遣うように視線を向けた。平気そうな顔をしてはいるがどう考えても大怪我だ。下手をすれば命に関わるかもしれない。 どうにかしてこの窮地から脱しなければ。 男の手にはもう凶器らしきものはない。油断は出来ないが純粋な肉弾戦なら華奢な方とはいえ一色の方が男よりも上背もある。 「僕のものだったのに!僕のものにならないなら、もう居なくなればいい!!」 男が喚きながら手を振り上げる。 覚悟を決めて応戦しようとしたとき 「けいちゃんアターック!!!!!」 不釣り合いな明るい声とともに、男は数メートル後ろへと吹き飛ばされる。 突然のことに一色は腕を顔の前で構えた姿のまま固まるしかない。 「いやー、危なかったね!ほんとにね!」 男に見事なまでの飛び蹴りをかまして華麗に着地を決めたのは、久しぶりに見る圭太だった。
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