例えば、綺麗なもの

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「圭太くん」 「ちょおっと待っててねー!とりあえずこの人ぐるぐる巻きにしちゃうから」 呆然と呟いた一色に圭太はいつものようににこりと花が咲くような笑顔を向ける。 どこにいても目立つビビットオレンジの大きな登山用リュックから縄を取り出すと地面に倒れ込んでいる課長を文字通りぐるぐるとすのこの様に手際よく巻いて拘束した圭太をただ見つめるしかない。 かんせーい!と嬉しそうに課長の頭をポンポンと叩くと駆け足で一色の方へと近づいてきた。 「社長、大丈夫?痛そうだねー」 その言葉に一色はハッとする。 こんな風に固まっている場合ではなかった。変わらずの仏頂面の橘だがその額に汗が浮かんでいることに気付き自分の注意力や判断力のなさに腹がたつ。 「すぐに病院に。救急車を呼びます」 橘の横についてその身体を支えながら携帯を取り出して119番通報をしようとした一色の手を圭太がそっと止める。 「救急車はダメ」 「どうしてですか。だってこんな状態ですよ、ちゃんと診て貰わないと」 「うん、そうだね。大丈夫、アテがある」 「アテ?」 落ち着き払っている圭太の常とは異なる少し低い声が出会って始めて圭太を年長者だと思わせた。 「だから大丈夫だよ、悠ちゃん」 ぽん、と頭に手を置かれる。 「………嫌だ」 「仕方ないでしょー。もう少ししたら死んじゃうかもよ」 頭上からかなり不機嫌そうな声。 どうやら圭太のいうアテが橘には分かるようだ。2人の付き合いは一色よりも長い。どのくらいかは聞いたことがないが、自分が知らないことがあっても仕方がないし、全てを知っていたいとも思わない。そう思うのに、こういう時にどうすればいいかを知らされていない自分が情けない。 暫く言い合いをしていたが、橘の鼻先に圭太が人差し指をビシっと突きつける。 「そんな青白い顔で言われても従わないんだから!!」 そう言って圭太はどこかへ電話をかけ始める。 「寝る」 「えっ?ちょ、橘さん!」 ズシっと身体が重くなる。立ったままでは橘の体重を支えることが出来ずに出来る限りゆっくりとその身体を包み込むようにしながら地面へと座り込む。 距離が近くなってはっきりとその顔が見える。 息が荒い。キツく閉じられた瞼が少し震えている。 「橘さん?」 呼びかけにも返答がない。 「橘さん、橘さん、」 左脇は血でぐっしょりと濡れている。 「橘さん、橘さん、橘さん……」 自分のせいだ。何一つまともに出来ない。 注意力も判断力も行動力もない。ストーカーごときに対処出来ず、不安を隠すことも出来ず、それなのに頼ることもしない。心配と迷惑だけをかけて、こうして橘を危険に晒して。 「橘さん……」 ぽたり、 一色の頬から涙が橘の顔へと落ちる。 ああもう、本当にどうしようもない。こうして惨めに泣くことしか出来ないなんて、本当にただの出来損ないだ。 圭太の電話が終わるまで一色は下唇を噛みながらただひたすら橘の頭を抱えて静かに泣いた。
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