例えば、綺麗なもの

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ゆっくりと目を開ける。 霞がかかった視界がだんだんとクリアになってきてそれが見慣れた自室の天井だと気付いたときに橘は無意識にホッと息を吐いた。 奥の壁にあるデジタル時計は17:31。 どうやら1日近く眠っていたらしい。背中も痛いはずだ。とにかく起き上がろうと力を入れるとズキリと脇腹が痛みチッと舌打ちをこぼして再度ベッドへ横になる。寝転がったままシャツの裾を上げ見れば白い包帯が仰々しく巻かれている。 ベッドサイドには常にはないサイドテーブルが置かれていて体温計、タオル、水、換えの包帯が置かれている。きちんと並べられたそれらにツンとしている生意気な人物の顔が浮かんで橘はふっと笑う。 様子がおかしいと思ったのは依頼が解決してすぐの事。あれは自分がポーカーフェイスだと思っているらしいが意外と分かり易い。何かを考え込むことが多くなった。聞いたからと言ってすぐに答えるような可愛げはないので様子見をしていれば、今度は空気が張り詰めるようになった。事務所へ入るなり窓からさりげなく外を伺う。日に日に目の下の隈は濃くなっていた。 極め付けは厳しい顔でやってくるなりお菓子を作り始めた。一色が誰にも頼まれていないお菓子を作る時は何か心の平穏を大きく乱された時とこの数年の付き合いで知っている。この仕事を始めた当初は事あるごとに作っては圭太に餌付けをしていた。 状況が悪化していることは明らかで、純粋なふりをして話を聞き出すことに長けている圭太が帰ってくるまで、と橘は事務所の周りへと広域の結界を張った。結界内へは霊は入れないし、橘がマークした人間が結界外に出れば感知できるようになる。もう一度言うが疲れるのでやりたくはない。 これでひとまずここにいる限りは安全だろうとタカをくくったのが失敗だった。まさか圭太が帰るまでに結界外に出るとは思わなかったのだ。 あれは手のかからないようでいて、どうしようもなく手のかかる。 「あれ、起きてる」 ガチャっとドアが開いて一色が顔を出した。 「起きたんなら声くらいかけて下さいよ」 「腹が痛ぇ」 「ぐっさりでしたからね。良く生きてますね」 抑揚のない声でさらりと答える一色に橘はふ小さく笑う。 意識を失う前の慌てふためいていた様子と今の必死で憎まれ口を叩こうとしているギャップが面白い。何ですか、と胡乱な表情を見せる一色に更に笑いそうになるが腹が痛むのでなんとか堪えた。 「一色、起こせ」 そう言えば常であれば反抗してくるのに何も言わずそっと背中に腕が回される。しばらくこうしてこき使うのも悪くない。 起こした身体の後ろにすぐさまクッションが差し込まれて倒れこめるように甲斐甲斐しく世話をされる。 「みんなに目が覚めたことを伝えてきます」 「ああ」 そう言って一色はドアへと向かう。 ドアノブへ手をかけて部屋から一歩足を踏み出してから顔だけを少しこちらへと向けた。 「………………ありがとうございました」 バツの悪そうに少し眉間にシワを寄せながら、ポツリと零して一色は思いっきりドアを閉め出て行く。 「ははっ………」 思わず笑ってしまって、橘は痛む腹にそっと手を置きながらクッションへとやや乱暴に身体を預けた。
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