例えば、こんな始まり

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「で、いつになったら私は何か教えてもらえるんでしょうか?」 「あ?教えてんだろ」 「………領収書の清算以外教えてもらった記憶がありませんが」 ここで働き始めて1週間が経とうとしているが誰かお客が来ることもなく、特にこの仕事に対しての知識や技術を教えてもらうこともなくただひたすらに溜まった領収書の整理やその他の雑用を押し付けられている。 1日の大半をデスクとほぼ誰も訪ねてこないBarの店番をするというだけで一色は正直暇を持て余していた。する事がなさすぎてBarの新メニュー考案までしてしまう始末。 橘はというとふらりと自室から出てきたかと思えば一色に少しちょっかいをかけて外出する。夕方に帰って来ることもあれば、そのまま戻らず翌日になる事もあった。 今日も今日とて黒いコートに身を包み出て行こうとする橘を一色が引き止めていた。 「ああー…まぁ今日くらいにあいつが戻ってくるだろうから」 「あいつ?」 その時カランコロンと入り口が開く音がした。珍しくお客が来たのかと下に降りようとする一色の耳に逆に階段を上がってくる足音が届いた。 「あっれー?綺麗になってる」 部屋に入ってきた人物が驚いたようにそう言った。 トイプードルのような明るくてくるくるした茶色の髪、ぱっちり二重の大きな目、身長は一色より少し低く170センチくらい。 もこっとした白のダウンに大きな柄の入ったセーター、濃いめの少しダボっとしたデニム。可愛らしい、という言葉が似合う。 「んー?なになに?社長が言ってた新しい子ってこの子?」 ひょこひょこと効果音がつくような歩き方で一色の目の前まで来ると上から下まで値踏みをするかのように見られて、一色は思わず半歩下がった。 「社長って呼ぶなと言ってるだろう」 「えー?ケチくさっ!ほんとに社長なんだからいじゃんか。ね、そう思うよね?えーと……何くん?」 せっかく下がった1歩をまたぐっと詰められる。パーソナルスペースが狭めの人のようだ。 「初めまして、一色悠人です。宜しくお願います」 「一色悠人くん。じゃあ悠ちゃんだ!」 「……悠ちゃん…」 「僕の名前は山添圭太。気軽にけいちゃんって呼んでね」 にこりと満面の笑みを浮かべながら差し出された手を一色は苦笑いをして受け入れた。
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