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例えば、こんな始まり
古びた雑居ビルが立ち並ぶ界隈に、周囲とは不釣り合いなレンガ造りの建物が1つ。全面を茶緑の蔦が覆い、如何にも怪しげな雰囲気が漂う。店の入り口に付いている小さく錆びた看板にBARと書かれているためかろうじて店種は分かるが、ここに入ろうと思う客はかなりの変人、鋼のハートの持ち主、あとは思い詰めた人間くらい。
カランコロン
とまるで喫茶店のような音を立てて木造りのドアが開く。
「ああ、こんにちは」
カウンターの中から入ってきた黒髪の人物を見て優しい笑みを浮かべたのは一色悠人。少し長め、頸まで伸びるの柔らかそうな亜麻色の髪に優しげで賢そうな目元。10人いれば10人が綺麗、と称すくらいの男。
そんな彼を来店した青年も尊敬していたし信頼している。
「こんにちは。手伝いましょうか?」
手前の椅子にリュックを下ろして一色に声をかけるのは相原透。20歳の大学生。片方に流した長めの前髪によって左目はほぼ隠れてしまっているが切れ長の大きなアーモンドアイが可愛い、と一色は密かに思っている。
口に出そうものなら彼を溺愛している男に警戒されてしまうので絶対に言わない。
「もう終わるので平気ですよ。外寒かったでしょう、温かい飲み物でもどうですか?」
カチャンと最後のコップを水切りに入れて尋ねる。まだ11月だというのに今日は北風が強く冷える。体感温度だと12月並みとワイドショーの天気コーナーで言っていた。
トレーナーに薄手のマウンテンパーカーを着ていた透が見るからに寒い。
「あ、オレがします!」
「いえ、私も飲みたかったのでついでです。座っててください。まだバイトの時間まで30分はありますし。ミルクティーでもいいですか?」
透が頷くのを見てミルクパンにお湯を入れる。紅茶棚からミルクティー専用の茶葉を取り出して分量は正確に。ミルクティー専用茶葉を購入するときココのオーナーはそんな無駄なもん、と悪態をついた。紅茶を飲まない人にはこの違いが分からないらしい。稀に来るお客さんにも一色が淹れるミルクティーは概ね好評だ。普通の牛乳とは違うミルクを追加する。乳脂肪分の多いミルクはコクが出る。これもまた無駄なもん、と悪態をつかれたが以下略。
濃厚な香りが広がってくる。
火を止めて茶こしで受け、マグカップに注ぐ。
「どうぞ」
「ありがとうございます、うまそう」
お褒めの言葉ににこりと笑って一色はカウンターに座る透の横に腰かけた。
「今日は瀬崎くんは一緒じゃないんですね」
「7限までびっしり講義の日で。…………、迎えには、きます」
透が少し恥ずかしそうに俯いた。可愛いなぁ、初々しくて。と思わずそんな感想が心を占める。
瀬崎、とは透の恋人だ。金色に近い明るい髪に少しタレ目な人たらしのような優しい目元、高い鼻筋、形のいい唇。長身でモデルのような体つきをしている。かなりモテる男だが透にゾッコンだ。
透と瀬崎はここでバイトをしている。バイトの内容はこの寂れたBARの店番。そして、BARの客ではない、二階で寝こけている男の客の案内、その他雑用。
ここは霊能者橘尚道が経営する、心霊相談の店でもあるのだ。
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