王の想い人

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王の想い人

「私は昨日も王にお会いしたのだけれどね、どうやら王には想い人がいらっしゃる様で、いつも軽くお話をするだけなのですよ」 「え……?」 「わたくしもお聞きしました。運命の方を探してらっしゃるとか」 「素敵ですわよね。私、王があのお歳になるまでどうして一人も後宮に入れないのかずっと疑問だったのですけど、お話を聞いて納得してしまいましたわ」  驚くエヴァンを余所に、三人は全員既にその話を王から聞いていたようで、にこやかに頷き合っている。 「王としての義務だからと私達と定期的にお会いになって下さるけれど、心はその運命の方だけだと正直に告げられては、応援するしかないでしょう」 「わかります! 昔一度すれ違っただけの運命の人をずっと想い続けていらっしゃるなんて、なんて一途な方なのでしょう」 「どうしても忘れられず、必死に探し続けていらっしゃったのに、年齢を理由に今回わたくし達を後宮に呼ぶことになってしまった事に、とても心を痛めてらっしゃいました。このまま選定期間内に運命の方が見つからなければ、わたくし達の中から誰かを選ばねばならない事も、謝ってらっしゃられて……」 「王は私達と会う時には、必ず抑制剤を飲んでらっしゃるのですよ。もちろん私達にも副作用が酷くないのなら服用して欲しいと仰られて、極力ヒートが起きないように細心の注意を払ってらっしゃるのです」 「本当に、紳士的な方ですわよね。運命の方の話がなければ、政略的にここに来ましたけれど、本当に好きになっていたかもしれませんわ」 「もちろん後宮に上がったからには、私達も王妃としてお支えする覚悟は出来ていますけれども、出来ることなら運命の方と一緒になって頂きたいと思っているのですよ」  ベアトリスの言葉にアデールとナタリアも深く頷く。エヴァンは初めて聞く話ばかりだ。  淑女の嗜みとは無縁のこの四人だけの空間では、三人のお喋りは止まらない。だが皆の共通点として、これまで積み重ねてきていた王との逢瀬の中で恋愛感情は生まれていない様子だという事だ。  むしろ王の言う運命の人と結ばれる事を、応援したいという共通認識が出来つつある。  三人とも王の人となりをきちんと見定め、例え一番の愛を貰えないとわかっていても王妃としてその隣に立つことを決意してもいる、強い目をしていた。  それは尊敬に値するし、この方達を絶対に守らねばならないと決意を新たにする。 「ですが王様がずっと探しているのに見つからないなんて、お相手の方は一体どんな方なのでしょうね?」 「それが、王も顔を見たわけではないらしいのですよ。まだ王子だった頃に城下に降りられた際に、歩いていたら運命の匂いがしたとか……」 「匂い? それだけですか? 顔は見なかったとしてもせめて姿形とか……」 「ほんの一瞬、香っただけなのだそうです。でも強烈に本能に働きかけて来るものだったから、もう一度会うことが出来れば絶対にわかると仰っていました」 「それはなかなか厳しいですね。城下でとなると、対象も広範囲に及びますし……」  三人の会話に釣られる様に、王の運命の人とやらの正体を考えながらエヴァンは首を捻った。  αの王が運命だとわかる匂いがしたという事は、相手は間違いなくΩだろう。  年齢も性別も姿形もわからないという所がネックだが、もう一度会って匂いを嗅げば絶対にわかるというのなら、城下に住むΩから全員当たっていけばよいとも思う。だが基本的に身分の上下に関わらず、城にΩは入れない。唯一登城を許されているのは、王妃となるΩだけだ。  王の結婚問題は数年前から取り沙汰されていて、今回王妃候補が後宮に上がることになったのも、三十歳という年齢になって周りが黙っていなくなったからだろう。  運命、などという存在はそう簡単に見つかるものではない。生涯の内で出会える事は奇跡にも近いと言われている。  王の感じたそれが本当なのであれば、国を挙げて探し出す位の事はしてもおかしくないのだ。運命と番になれば、普通にΩと結婚するよりもずっと高確率で子を望めるし、本能で惹かれ合い離れられなくなるというから、お互いに幸せになれる可能性も高いだろう。  今の王は若くしてその地位に就かれたので、気軽に城下に降りる機会はそうなかっただろう。出会った場所が城下となると、相手はたまたま来ていた他国の者や、城に上がれるような身分ではない者の可能性が高い。もしかしたら既に亡くなってしまっている可能性だってあるし、既婚者の可能性も捨てきれない。  そうなると確かに、いくら王の運命だと言っても探し出すのは困難なのかもしれない。  一途に一人の人を想っている王に幸せになって欲しいという気持ちはあるが、次世代に繋げなければならない身分である以上、もうあまり猶予はないのは確かなのだろう。 「あ、でも……」 「せめて姿形だけでもわかれば、多少の協力は出来ると思うのですが、俺ごときが出来ることは既に……っと、すみません」  何かを言いかけたナタリアと、エヴァンの独り言に近い呟きが重なってしまった事に気がついて顔を上げると、王妃候補三人共がエヴァンをじっと見つめていた。 「……えっと、俺に何か付いていますか?」 「エヴァンはもしかして、城下に詳しいの?」 「詳しい、という程ではありませんが、騎士候補でもありましたので、よく見回り等には出ていましたよ」 「Ωですのに?」 「俺はこの通りかなり鍛えていますし、常に抑制剤を服用していますから、道を歩いていただけで襲われる様な事はありません。鍛えすぎたからか、αの父や兄姉に言わせるとΩの匂いも薄いそうですので、そこまで危険ではなかったんですよ」  言われて気付いたが、城下を歩いていたのはαやβばかりだった。確かにΩが不用意に外出するのは危険が伴う。  ここにいる三人の様な身分の高い貴族のΩ女性は、権力を持つαを産める為に重宝されがちだが、一般市民や貴族であっても侯爵や公爵家の様に王族に近い貴族以外の、特に男性Ωの地位は底辺だ。  城下の町をふらふらと一人で歩いていて襲われたとしても、襲った者が咎められる事はない。むしろ罰を受けるのは襲われたΩ側だ。  そう考えると、騎士候補として訓練の一環だったとしても、エヴァンが城下の町を普通に散策できていたのは、ひとえにこのΩらしくない丈夫に大きく育った身体と、匂いの薄さのおかげだったのかもしれない。  当時は騎士になりたい気持ちで必死だったから気付かなかったが、エヴァンはかなり危険な橋を常に渡って来ていたのかもしれなかった。 「エヴァンが騎士候補になったのは、いつからですの?」 「えぇと、兄が騎士になった頃ですから、十年程前ですね」 「それまでは、普通のΩの様に過ごしていたのですか?」 「いえ、物心ついた時から兄や姉との真似をして、一緒に身体は鍛えていました。αの二人には全然付いていけませんでしたが、それが余計に悔しくて止め時を失ってしまった様なものです」 「ではもしや、幼い頃から城下に出ていた……?」 「流石に一人では出る様な事はしませんでしたよ、腐っても伯爵家の息子ですからね」 「そう……」 「あ……ですが確か一度だけ、兄と姉が騎士候補として訓練で城下に出ると聞いて、こっそり覗きに行ったことがありました。屋敷中が大騒ぎになって後でこっぴどく叱られましたし、まだ十歳にも満たない頃で自分の性について良く理解出来ておらず、よく無事だったと今となっては思いますが」 「「「それはいつ!?」」」  本当にあの時は屋敷中の大人達が総出で素早く見つけてくれたから助かったのだろうと苦笑するエヴァンに、三人の王妃候補達の声が勢いよく被って驚く。  思わずのけぞって椅子ごと倒れそうになるエヴァンに迫る三人の目は、真剣そのものだ。穏やかなお茶会の席で筋肉質の大男が、か細い女性三人に圧倒される光景が繰り広げられる事になるなど、誰が想像出来ただろうか。  エヴァンの幼少期の過ちを、今更真剣に怒られるとは思っていなかったが、それほどまでに危ない事をしてしまったという事だろうか。  実際Ωの子供が一人で城下をうろつくなど、襲ってくれと言わんばかりの状況なので、怒られても仕方の無いことなのだが、どうもそれだけではない勢いがある。 「あの、確かに俺が軽はずみだった事は認めますが、なにぶん小さい頃の事ですので……何も無かったことですし、勘弁して頂けると……申し訳ございません」  だが確かに同じΩとして、迂闊すぎるエヴァンの行動は不快に思われたかもしれない。  何も無かったから良かったものの、Ωである以上何かあってからでは遅いのだ。もしあの時、屋敷の誰にも見つからずαに見つかっていたら、そして無理矢理番にでもさせられていたら、命は助かったとしてもエヴァンの人生はそこで終わっていたかもしれない。  無事だったからと言って、そんな話を大切に育てられてきた高貴な身分の令嬢達に聞かせるべきではなかった。 「謝る必要はありませんよ、エヴァン。私達は貴方がその時無事だった事も、その後ご兄弟に負けないように貴方がとても頑張ったからここに居てくれるのだと言う事も、理解しています」 「ベアトリス様……」  立ち上がって深々と頭を下げるエヴァンにベアトリスがかけてくれた言葉は、エヴァンを責めるどころかこれまでの努力を認めてくれる優しいもので、怒っている訳ではないと知らせてくれる。  そのまま「お座りになって」と視線で指示されて、すとんと再び椅子に腰掛けると、怒っているわけではないと示しつつもやはり三人の圧は変わらず、ずずいっと身を乗り出すようにしてエヴァンを取り囲んで来た。
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