第2話  メイストーム

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第2話  メイストーム

新一年の合同オリエンテーリングも終わり、各学部へ配属されるのが4月の末位の時期だった。学部への配属と言っても、所詮同じキャンパス内なので大した代わり映えはしないのだが、緩やかなクラス分けと言った所で、各学部の様々な必修講義を履修するためである。そんな一連の行事が進行していき、連休明けに予定されている、新入生歓迎会へと続いている訳なのだ。主催する二年としては、せっかくの連休をその準備のために潰されるとあって、あまり評判が良くない行事であるが、高校と違うのは、あくまで学生自治会の主催であり、高校の時のような教職員からの横槍は原則的には無い。もちろん、はめを外しすぎると違法行為として大学側から告訴されるのだが。秋の学祭と並んで、年間のビックイベントの一つでもある。そんな春先の最中、新入生の雪乃は案の定、三芳嬢と旨くやっているらしく、雪乃を含めた数人の一年を引き連れた三芳嬢を何回か見かけてはいたが、僕らの存在を無視しているのか、三芳嬢の計らいで接近遭遇を旨く回避してくれているのかは分からないけど、まだ、雪乃と幸子との直接対決は発生していなかった。そして、連休も始まろうとする週初めの日、珍しく一年連中を引き連れていない三芳嬢と学食で昼食を取っていた。幸子は母親と里帰りとかで不在で、ここ数日僕一人のため、例のお弁当も無いわけである。 「どうですか、雪乃は?まだ大人しくしてるみたいですが。」 「ええ、一寸、お呪(まじない)いを掛けてあります。」 「お呪い?どんな呪いですか?」 「それは、内緒です。ヒントを言えば、雪乃ちゃんの許容条件に関係がありますね。」 「はあ・・・」僕は思案をしたが、今一つ中身が掴めなかった。 「それで、出し物は決めて頂きましたか?」 「ええ、トランペット演奏と、和服で演歌でもと思ってますが。」 「和服!わぁ是非見てみたい。運営の方でも、それなりに演出効果の方を頑張りますから。」 「まあ、あまり期待はしないでください。」 暫くの間、三芳嬢とゆったりとした会話を楽しんでいたが、背後に人の気配を感じて振り返ると、雪乃がいた。 「お兄ちゃん、まだそんな格好してるの。私、もっとダンディーな方がいいな。」 「しょうがないだろう、商売なんだから。講義終わったのか?」 「うん、私達一年は、これで後は連休に入るだけかな。」 「お兄ちゃんは?」 「僕らは、君達一年のために色々準備があるのさ。」 「「少し位なら、手伝うよ。」 「うん、何んなら、家業の方も手伝ってくれよ。連休中は興業が入ってるし。」 「一寸それはさすがに無理、まだ恥ずかしいし、お兄ちゃんほど芸無いもん。でも、看板位なら画けるよ。」 僕らを見ていた、三芳嬢がクスクス笑いながら、 「お二人を見ていると、何だか可笑しくて。美少女二人が男女の台詞で演劇の練習をしてるみたいで。」 「ほら、綾佳さんに笑われているじゃない。」 「私、詰め襟姿の薫さんも素敵だと思いましたが、女形の今の薫さんも何だかとても身近に感じられて好きですよ。」 「ええでも、おっぱい無いですよ。私みたいに!」そう言ってわざと胸を突き出して見せた。それから、少し小声になってから 「あ、そうそう、綾佳さんも大きいんですよ。」と言うと、再び笑い出した三芳嬢に、雪乃の許容条件を理解してくれている様だなと思った。 「あ・・・それから、ジョナサンみたいな人を見かけたんだけど!」と唐突に雪乃が言い出した。 「ジョナサン?確か、M大の三年のはずだけど。」例によって僕の身辺の話になると、聞き耳を立てている三芳嬢が 「何方ですか?海外の方?」 「チン玉コンクールで、準グランプリの人。」 「え、何玉コンクール?」 「ああ、すいません誤解を招くような発音ですね。チンドン屋の玉三郎の略です。要するに、女形のコンクールです。毎年、チンドン屋の全国大会があって、その中のイベントの一つなんですけどね。」 「そうよ、コンクールで、お兄ちゃんがグランプリでジョナサンが準グラだったのよ。」 三芳嬢の目がキラリと光って 「ええ、何んですの、面白そうなお話ですね。」 雪乃がまた洗いざらい喋り出すのだろうなと思いながら 「その、ジョナサンが何処に居たんだ?」 「事務局よ、チラット見ただけだけど。ジョナサンだったわよ。私も次の講義で急いでいたんで声も掛けなかったけど。」 「三芳さん?」 「綾佳で良いですわよ。雪乃ちゃんもそう呼んでくれてるし。」 「はああ、じゃー綾佳さん、歓迎会の催しで外部の人間、芸人とかミュージシャンとか呼んでますか?」 「私の知る範疇では、居なかったと思いますけど。」 「ほら、雪乃の見間違いじゃないのか。」 「ええー、でも確かにジョナサンだったけどな。ケバく無かったけれど。」 その後、雪乃がさも自慢そうに、コンクールの事を話し始めたので、コーヒー缶を片付ける口実でその場から撤退した。家業でやっている時は、あまり感じないが、後から思い起こすと結構恥ずかしい場面もたくさんあって、それを他人に話すとなるとさらに恥ずかしい訳だ。僕は図書館に寄ってから、学内の生協で買い物して帰宅しようとしていた。秋になれば、見事な黄色の葉に染まるだろう公孫樹(イチョウ)の並木は、坊主の枝にちらほら若葉を付け初めていた。そう言えば、母に連れられて、よく外苑の並木道を歩いた。母の目的はその先にあるバザーにあった様だが。枝先の動きの速い雲を眺めていると、携帯が鳴った。(幸子か、でもあいつならメールだしな。)そう思いながら、電話に出ると、三芳嬢だった。 「雪乃ちゃんから、番号聞いちゃいました。何だかお話が途中みたいだったので、今度は、私の知ってるお店に付き合ってもらえませんか?そんなに遠くは有りませんから、夕食をご一緒に。」 「はあ、雪乃も一緒ですか?」 「いいえ、雪乃ちゃんはお友達と先に帰りましたわ。」 「そうですか、ええ、良いですが、何処にいらっしゃいますか?」 「すぐ後ろです。」 僕が振り向くと、少し暮れてきた、木漏れ日の中に綾佳さんが居た。暫くその陰影を見つめていると、そばに来ていた彼女が 「何か物憂げですわね。」と声を掛けた。 「ああ、すいません・・・外苑の並木を思い出して居たもんで。」 「ああ、あの公孫樹並木ですね。秋の並木道は素敵ですわよね。」 「ええ・・・子供の頃は、ずいぶんと長い並木道の様に感じてましたけど、こことそんなに変わらないのかな。」 そんな母との昔話しを思い起こしながら、三芳嬢の案内で目的の店に向かった。 その店は、地下鉄で二駅ほど行ったところで、結構有名な教会の側に在った。背後の教会がレイアウトに入るように設計された、ほぼガラス張りの店で、中には小さな池を囲む様にウッドデッキのオープンテラスとガラス越しに屋内テラスが見える店である。店に入るとボールの様なグラスに飾られた蝋燭に火が灯されていた。料理は予約してあったのか、コース料理になっていて、濃くのあるコンソメや前菜の生ハムをアレンジしたサラダが出されて来た。フランス料理ほど堅苦しくなくイタリア料理ほど大雑把でも無い、どちらかといえば会話を楽しむための食事と言った感じである。 「ご心配なく…実は姉のお店です。」 確かに、学生の身分でしょっちゅうこられる様な店ではなさそうであった。ソフトドリンクを飲みながら、出されていたオードブルを摘んでいると 「一応、強いお酒は控えてます。身元がバレてますから。」 「いいんですか、僕なんかと来て。」 「ええ、全然問題ありません。」 そう言えば、出会ってから此の方、三芳嬢のことは詳しく知らなかったなと思いながら、 「お姉さんが経営されているんですか?」 「ええ、他にも都内で3店舗ほど…あそう、あの後早速、姉と竹林亭にお邪魔させていただきました。すっかり、姉も気に入ったようで。」 「それは、有難うございます。身内の店なんで、繁盛してくれると嬉しいです。もっとも、隠れ家にできなくなるほどだと困りますが。」 「ここは、隠れ家には一寸無理ですわね。ガラス張りだし…お話は変わりますが、」 その時シェフがメインデッシュを持ってきた。 「子牛のヒレのトマト煮で御座います。」と言いながら、自家製ソースを掛けてくれた。やはりそれなりのお店らしく、身内の者が来ても、やたらとチャチャを入れるような従業員は居ないようだった。 「私、つくづく残念に思っておりまして、去年のうちにお声がけしていればって。ずいぶんと、気には成っていたんですが、一年を無駄に過ごしたようで…」 「え、そんな事無いでしょう。別に大した代わり映えはしなかったと思いますよ。でも、僕は、其れなりに楽しませてもらいましたけど。」 「ずるいですわ。私たちを騙していたなんて。」 「騙したわけでは無いですよ、僕としては芸を磨いていただけですから。」 「本当に、すっかり、騙されていましたわ。あの幸子さんをカモフラージュにして。」 「幸子は、どちらかと言えば地でやってますけどね。」 僕らは、二人してクスクス笑い出していた。 「本当に退屈でしたのよ、去年は。ただ、講義に出て、ありきたりなお友達と、ありきたりなお話をしているだけでしたから。それで、学生自治会の委員でもしてみたら少しは気晴らしになるかと思いまして。」 「ほおーなるほど。それで、僕の処へ…」 「結果的には、それが瓢箪から駒だったようですわ。」 「うんー、褒められてるのか、馬鹿にされているのか。やっぱり、綾佳さんは珍獣ハンターですよ。」 酒の肴の様な感じで、口寂しく成らない程度な量とタイミングで、軽い料理が出て来た。 僕は、幸子と雪乃の軋轢について話初めていた。 「他に聞いてもらえそうな人が居ないもんで、迷惑でしょうが。これから迷惑を掛けてしまうかもしれませんので、あの珍獣達は・・・」 「雪乃ちゃんも珍獣なんですか?」 「あの年になって、兄貴のベッドに潜り込んでくる獣です。」 「ええ、それは危ない!」 「まだ僕らが、小学生の時ですが、母が他界して、雪乃は、数週間泣きっぱなしだったんです。見かねて添い寝してやったのが悪かったのか、極端なブラコンに成ってしまって。六年の遠足の時に、朝早かったんで、幸子が起こしに来た時、鉢合わせして、幸子は僕を怒ったんですが、雪乃が逆ギレして大喧嘩に成りましてね。それ以来、あの二人は、犬猿の仲なんです。」 「部屋に鍵を掛けるとか・・・」 「それもやりましたが・・・最後はドアの前で一晩中泣かれました。そんな事情で、僕は雪乃になるべく異性を感じさせない様、僕自身もそうかもしれないけど、女形を演じてる訳なんですが、幸子はそれが、また気に入らないらしく、当て付けがましく男装を見せつける訳です。」 「うーん、結構複雑な問題ですわね・・・・・でも、雪乃ちゃんが、誰かを好きになれば、薫さんの呪縛もとけるかも、そうすれば、幸子さんにも変化があるかもしれませんね。」 「うん、確かに・・・新しい環境でそうなれば嬉しいですね。」 「私応援します。薫さんの呪縛を解くためにも!」 屋外のデッキテラスが騒がしく成ったと思ったら、雨が降り始めてきたため、外の客が一斉に屋内に入ってきた。ウエイター達がテキパキと客を誘導しているさなか停電してしまった。そんななか、赤いポルシェで乗り付けて来た女性がいた。幸い、蝋燭の明かりで不便は無かったが、不安がる客を前に 「一部の交通機関が止まっておりますので、お車が必要な方はお申し出ください。また、近くのホテルに空き部屋を確認中ですので、そちらをご利用の方もお申し出ください。」 その女性は、従業員にそれぞれ指示をだすと、僕らの所へやって来て 「メイストームね!」そう言ってから、水をごくごく飲み干した。 「あら、ご免なさいね。こちらが例のお友達の・・・薫さん?私、綾佳の姉の葵です。初めまして。」 あっけに取られている僕は 「ああ、初めまして、佐藤薫です。綾佳さんにはお世話に成っております。」ドキマギしながら挨拶した様子が可笑しかったのか、姉妹二人がクスクスと笑いだした。 「女形をやるだけあって、えらい美男子ね。綾佳から聞かされていなかったら、男の子とは分からないわね。去年の今頃は、あんなに沈んでいたのに、今年の春は宝物でも見つけた様に、ウキウキしてるのよ、この子ったら。話す事と言ったら、薫君の話題ばかりで、もっとも私も楽しませてもらっているけどね。」 「お姉ちゃんたら・・・」 「ところで、食事は食べられたの?この停電のなか。」 「はい、美味しかったです。」 「ところで、電車が止まってるけど、私たちのマンションがすぐ側だから今晩は止まっていきなさい。私はまだ、お店の方を片付けなきゃ成らないから少し遅くなるけど。」そう言うと、僕が返事をする間もなく立ち去ってしまった。 「ええー、うーん、」僕が一頻り悩んでいると、 「何の問題もありませんから、お気兼ね無くいらして下さい。」 「でも、僕は男だし、女性二人の部屋に泊まらせてもらうのも・・・」 「姉は、昔から可愛い弟と添い寝するのが夢だったんですわよ。」 僕の発言を逆手に取られて、結局、帰る当ても無い状態なので、家に電話してから店を出た。メイストームは予想以上の荒れ方で、店で借りてきた傘は殆ど役に立たないほどの本降りと成っていた。今日の夕方の状況からは、想像が付かない様な、季節が少し先なら台風の直撃を受けたと言ってもいいような嵐だった。三芳姉妹のマンションに付く頃には二人ともびしょ濡れ状態で、ガラス張りのセキュリティードアを抜けて、やっと風雨から避難する事ができた。 「こんな事なら、もう少し待って姉の車に乗せてもらえば良かったですわ。すぐにお風呂沸かしますから、あー着替えは、父ので良いですよね。」僕は、タオルで頭を拭きながら 「ええ、すみません。」 広い玄関で突っ立ったまま、体を拭いていると、部屋着に着替えてきた綾佳さんが 「どうぞ上がってください。靴下もすぐ洗いますから。」 「はああい・・・」とりあえず、廊下を濡らさない様につま先で、脱衣所まで急いだ。 「洗濯物は下の籠に入れておいてください。お風呂はもうじき沸きますので、それまでシャワーを使って下さい。」綾佳さんの声が部屋のインターホン越しに聞こえていた。 (凄いマンションだな)脱衣所から湯船に入ってさらに驚いた。そこには、ジャグジータイプ恐らく四、五人は入れそうな浴槽と、こんな嵐の夜でも無ければきっと夜景が素晴らしく綺麗だろう二面の窓による展望を持った空間が広がっていた。湯船は、もうじき八割程のお湯を満たそうとしていた。ガラス窓へ激しく当たる雨を見ながら、(まさか素通しじゃ無いよな)ぼーとしていると、脱衣所方から声がして、 「着替え置いておきます。下着は、洗濯乾燥機の中で直ぐ乾くと思いますので、出たらこの浴衣を着てください。」その声が終わらないうちに、誰かが入って来た。一瞬振り向いただけで、二人の人物は特定出来た。三芳姉妹であった。二人は恥ずかしがる様子もなく、体を流すシャワーの音が止むと湯船に入ってきた。 「若い男と、一緒に入るのが夢だったんだよね。」 そう声を掛けたのは、お姉さんの方だった。 「驚いたでしょ、父と何時も一緒に入っているので、男の人には抵抗が無いんです。」 綾佳さんが付け加える様に説明したが、 「でも、お父さんと他人の男では・・・違いますよ。」 「温泉に行けば混浴てのが有るんだから、今でこそ、男女別れているけど、昔は大体混浴だ。」 (何時の昔だ)と津つこみたかったが、なるべく横を見ない様に 「僕そろそろ出ますが。」 「まだ早いだろう。」そう言うと、葵さんが何かのスイッチを入れた。湯船の底から細かい泡が立ち上り、本当にジャグジーなんだなと感心していると 「これで、少しは話やすく成っただろう。」 僕は、ある意味覚悟きめて、二人の方を見た。二人とも頭にキャップをかぶり、こちらを見ていた。 「キャップを貸してあげれば良かったですわね。でも、可愛い。」 「ホントだな、首から上ならまさに女の子だな。」 始め、何を言われているか分からなかったが、長くした髪が面倒だったので、簡単に二つのお団子を作り、髪を止めていたのに気がついた。 「顔は女の子だけど、体は…良いガタイしてるわね。」顔を近づけてきた葵さんに 「お姉ちゃん!」綾佳さんがたしなめたが、その手は僕の胸板を触っていた。 「チンドン屋は結構重労働なんですよ。担ぎ物や衣装もそれなり重いし!」 「今度うちの店にも呼ぼうかな?」 「あの手のお店では、イメージが合いませんね。でもミニコンサート形式での客寄せなら大丈夫かと思います。」 「ふん、なるほど、結構商売上手だね。」 「ええ、この業界も、時代のニーズに合わせて行かないと生き残れませんからね。ただ好きでやってるだけじゃ食べて行けないもんで。」 「結構、生意気な事言うね、でも商売なんて何処も同じさ、うちの店だってそうだよ。ただ美味しいだけの店なら、他に幾らでも有るからね。うちの店に来てどんな感想持った?」なんだか経営学のゼミでも始まるような雰囲気で、葵さんが尋ねてきた。 「ええ、料理も美味しかったし、量や出されるタイミングもいい感じで、お喋りの邪魔にならない配慮があると言う気がしましたね。しいて、注文をつけるなら、背景の音…店全体の空間に漂うグランド音と言うか、他のお客さんの声が邪魔に成らなくなる程度の背景の音、たしかにBGMは流れてましたけど、人の声て、決行、音楽とは違った波長を持ってるんで、変に耳に入って来てしまうんですよね。」 「ほう、鋭い観察結果だな。それで、お勧めの音源は何か有るのかな?」 「まあーお勧めと言われると、一寸自信がありませんが、今のBGMの中に微かな雑踏の音、あの店の場合なら、お店が賑わっている時間帯の雑音でも言いと思いますが、混ぜておけば良いかな。」 「ふーん…面白いな。早速試してみよう。」葵さんが、関心している様子を見ていた綾佳さんが 「そろそろ出ません。」と声を掛けた。 「はい、じゃー僕が先に…」 「私たち目を閉じていますから。」 「そんな遠慮は要らんぞ、どうせ混浴したんだ堂々と見せればいい。」 そう言うが早いか、立ち上がり湯船を出て行った。 「お前達は、二人でもっとゆっくりしていろ。」 葵さんの豪快な行動に、あっけに取られてしまい、僕らは出そびれてしまった。 「何だか、女にしておくには惜しい人ですね。」 「ええ、良く言われますわ。」 僕は冷静を装いながらも、内心はかなりドキドキしていた。(デカかった)。結局、その後 「目を閉じていてくださいね。」と言って綾佳さんが出てから、二人が居なくなった頃合いを見て僕も出た。とんだ長風呂になってしまい、少々湯気に当たった感じだった。 下着は洗濯され乾いていたが、びしょ濡れになった服は洗濯中だったので、浴衣を借りてから、広いリビングへ行った。葵さんは、部屋の隅に作られていた、ホームカウンタバーのような所で既にアルコールを飲み始めているようで、僕を見ると、取って置きの自慢のウヰスキーだと言ってグラスを持って来た。 「わあー美味しい!」 「そうだろう、この芳醇な香りと舌の上で奏でるまろやかさわ、このウヰスキー独自のテーストなんだ。」 二人とも、結構回っているなと思いながら、葵さんのペースに載せられてしまっていた。 「ここは、父親が都内の隠れ家ように作らせたんだよ。あの豪勢な風呂といい、この広いリビングと良い…そんな関係で逆に、部屋数が少ないんだが。その後、母にばれて、取り上げられたので、妹が入学したのを機会に、こちらに越してきたんだ、店にも近いしな。そんな訳で、悪いが、綾佳と一緒の部屋で寝てくれ。」 「いえ、僕はここのソファーで結構ですから。」 「まー遠慮はするな。どうせ混浴の仲なんだから。」 「私わ構いませんから。雪乃ちゃんだと思えば大丈夫でしょ。」綾佳さんの言葉に、反応した葵さんが 「雪乃ちゃんて、確か妹だったよな。」 「ええ、綾佳さんの後輩になります。綾佳さんにはお世話になっております。」 「とっても可愛い方で…でもかなりのブラコンなんですよね。」 「ふむ、その話はまだ聞いてないぞ。」 僕はあの時、とんでもない人物に相談を持ちかけてしまったことを後悔していた。結局、僕の周辺事情は洗い浚い、筒抜けになっているようであった。 「そ言うことなら、私も協力しよう。いい男を見繕っておくから。」 酒の肴にされていた僕は、何時しかベットで寝ていた。微かに、軟体化した幸子の話で盛り上がっていた記憶が有るものの、湯気とアルコール度の高い酒で最後は意識が無くなっていた様だ。夢うつつの中で、背中に暖かい物を感じて、また雪乃かと思いながら、何時もの様に頭を撫でながら寝かしつけた気がしたが、雪乃は居るはずも無かった。 相変わらずの激しい風と雨音で目を覚ますと、既に8時を回っていた。携帯にメール着信があり、確認すると雪乃からで、本日休校の知らせだった。これじゃー教授も来られないよなと思いながら、現状を再確認し始めて、自分が何処に居るのかを思い出した。ハット我に返り、周りを見渡したがエキストラベットに居る自分だけだった。おそらく、綾佳さんが寝ていたであろう隣のベットは既に片付いていて、枕元には僕の服が置いてあった。着替えた後、リビングに行くと綾佳さんがコーヒーを入れていた。 「おはようございます。大学休校に成ってますからもっとゆっくり寝ていても大丈夫ですわよ。姉は、お店の状況を確認するため、もう出ましたけど。」 「ああ、すみません、すっかりご迷惑掛けちゃって、それに、昨夜は飲みすぎたようで…」 「大丈夫でしたよ。ご自分で寝室まで行かれましたから。」そう言いながら、ダイニングテーブルにコーヒーと水を持ってきてくれた。 「朝食、何になさいます。和食、洋食?」家では、選択肢などない問いであるが、 「ああ、洋食で、パンで結構です。」 「はい、では一寸待っててください。」といいながら、何だかやけに楽しそうに調理を始めていた。僕が窓の雨をぼーと見ている間に、料理が出来てきた。ベーコンの固焼きとオムレツそして自家製のパンがバスケットにいっぱい乗っていた。 「このパン、お店のですけど。」 コーヒーのお替りを入れながら、綾佳さんが進めてくれた。 「今日はどうなさいます。」一緒に食事を取りながらの、問いに 「電車が動いていたら帰ります。」 「ええ、すぐ帰っちゃんですか?せっかくの休校日なに。」ふと何を意図されているのかを寝ぼけた頭で考えてみたが 「でも、これ以上ご厄介になるわけには…」 「それなら、電車の復旧具合を確認してから考えましょう。」 綾佳さんの上機嫌をいぶかりながら、昨夜何かやらかしてしまったかなと自問していた。 ネットとテレビの情報では、台風一過の日本晴れとは行かないメイストームの状況を報じていた。予想以上に、発達した低気圧の動きが遅いため、各所で浸水騒ぎが起こっているようで、ふと我が長屋の前の川が気に掛かり、雪乃に電話した。こちらの事情は昨夜、爺ちゃんに連絡済みだったが、雪乃とは大学で別れたままになっていた。 「お兄ちゃん、綾佳さん所にいるって言うから、連絡しなかったんだけど、前の川は氾濫しそうだったし、お父さんは学校で足止めくらって帰ってこないし、お爺ちゃんと二人で大変だったのよ。」 「うん、わるい、でもこっちも足止めで、帰るに帰れないんだ。」 「で、動けない足が何で綾佳さんの所にいる訳!」 「それは、諸般の事情と状況により、そうなっただけだ。」 「まあ良いわ、綾佳さんの所なら、こっちも落ちついて来たし・・・休校の連絡は行ってるでしょ。」 「ああ、聞いてる。」 「この分だとこのまま連休に突入て感じなんだけど、帰ってきたら数学教えてよ。」 「ああ、課題でも出たのか?」 「うん、タップリね。」 「仕事の方はどうなっているか、爺ちゃんに聞いてメールしておいてくれ。」 「うん、聞いておく。綾佳さんに変な事したらダメだからね、大事な先輩なんだから。」 「あほか!」 そう言って電話を切ったが、一寸心配そうに僕を見ていた綾佳さんの顔があった。 「ああ、大丈夫ですよ。慣れ親しんだ下町の事情ですから、川の氾濫騒ぎは何時もの事なんで。」 「でも、お父様もいらっしゃら無いのでは、雪乃ちゃんも心細いでしょう。」 「爺ちゃんがいれば大丈夫ですよ。あの辺の主みたいなもんですから。」 安心した様な綾佳さんと対照に、また別な事が気に掛かっていた。(里帰りをしていた幸子は戻って来れたのか。あいつに電話しても会話が成立しないので、何時もお互いにメールをやり取りするのだが。) 「あの教授の、この時期の恒例行事なんですよ、数学の課題。私の時も大変でした。あの時薫さんがいてくれたら随分助かっただろうなと思いますけど。雪乃ちゃんも同じじゃないかしら。」 暫く、名物教授の話題で盛り上がっていたが、昼近くになり、葵さんから連絡があり、昼食がてら店の復旧を手伝って欲しいとの連絡が入った。雨は小降りとなり、三芳姉妹宅を出そびれていた僕は、それを口実にお暇させて貰う事にして、帰り支度を始めた。 「私も、一緒に・・・」と言って、綾佳さんも支度を始めたので 「雨まだ降ってますよ。」 「ええ、でも大分収まったし、姉の事も心配ですし・・・姉て機械音痴、特に電気関係は恐ろしいほどにダメなんです。一寸調子の悪い電気器具なんかは、姉が触っただけで機能停止状態になってしまって、大体買い換える羽目になるんです。何時だったか、ある電気屋さんが言ってましたけど、電気の幽霊にでも取り付かれている様だって。」 「ほうー、それは益々心配に成ってきました。お店が機能停止したんでは大変でしょう。」 風が止み、小降り成っていた雨のなか、そんな話をしながら店に急いだ。 店は、大方の機能は復旧していたが、業務用の冷蔵庫がまだ動かない状態だった。 「これが動かないと食材がみんなダメになっちゃんだ。電気屋を呼んでも直ぐには来られない状況で、そう言えば、工学部の学生さんが居たっけかと思い連絡した次第なんだが。」 僕は、状況を従業員の人から聞いてから、葵さんに変な所を触らない様に頼んでから作業に入った。故障の原因は意外に単純だった。強い風雨が原因で、配電盤の一部が浸水していて、漏電ブレーカーが作動し冷蔵庫の電源系が切れていた。タオルとドライヤーで配電盤を乾かし、ブレーカーをリセットしてから、作動させると問題なく動き出した。 「まかないだけどお昼を食べていって。」 葵さんが準備してくれた昼食は豪華だった。 「電車も動いていそうだし、帰ります。すっかりお世話になりまして。」 「いやーそんな事無いぞ、こっちも助かった、これからも寄ってくれ、どんな目的でもいいからさ。」 「えー、」 「だから、綾佳が目当てでも良いし、ジャグジーに入りたくなったとか、旨いウイスキーが目当てって言う事さ、私としても、念願の弟が早く欲しいしな。」 「お姉ちゃんたら・・・」 昼を過ぎると天気は急激に回復してきたが、まだ小雨のなか、綾佳さんは近くの駅まで、買い物のついでだと言って送ってくれた。 「お世話になりました。連休の後半にまた大学で、中日は仕事が入ってますので。」 「はい、お仕事頑張って下さいね。また、ご連絡させて頂きます。」 ライラックの花が咲き始めた、駅前のロータリーで明るい笑顔で手を振ってくれる綾佳さんを見ながら電車に乗った。
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