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ヨギさんが兄の部屋だったところに収まると、 「晩御飯が出来たらお呼びします」 と、母は日本語でそう言って、プリプリして台所へ。 私とヨギさんだけが残された。 私はつたないながらハングルで、この部屋が兄の部屋だったことを話した。 ヨギさんは特に感慨深い様子もなく、兄は何処に住んでいるのかだけ聞いてきた。 なんとなくヨギさんには兄の事をよく知っていて欲しくて、仏壇のある部屋に案内した。 「ああ、この家に住んでいるんですね」 ポツンとヨギさんは言って、兄の遺影を眺めていた。それから珍しいのか日本の仏壇をしげしげと眺め、倉橋さん(父)から亡くなった息子さんの話は聞いていた、生きていたら同じ年だった、生身の兄に会いたかった、と言って手を合わせてくれた。 この人は見た目ほど冷たい人じゃないんだなとその時わかった。 晩御飯を一緒に食べて、ヨギさんは父と晩酌をしながら話し込んでいた。父は海外にもよく出張するので英語とハングルと中国語が大まかに話せる。IT専門用語が飛び交うので話には入っていけなかったけれど、ヨギさんの匂いから離れがたく話を聞いていた。父は楽しそうだった。 話が粗方出尽くして、それぞれ部屋に引き上げたとき、ヨギさんは私にこの家の近くにコンビニはあるか聞いてきた。私は自分も行きたいから案内しますと答えた。
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