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洗面台で髪を乾かし終えて部屋に戻ると、先に戻っていた夕希が窓辺に向かってキャンバスを広げていた。
いつの間にか空は綺麗な夕焼けに変わっている。昼桜と夜桜とも違う哀愁を感じる夕暮れ時の桜の姿。これからキャンバスにこの景色がどう描かれるのだろうか。
鉛筆で下書きを描いていく手元を隣に座って眺める。
どうやっても自分には不可能な繊細な作業に感心の目を向けてしまう。
「帆多留さんに絵を描いてるとこ見られるの、ちょっと恥ずかしいです」
本当に照れ臭そうに笑いながら夕希が言う。手元から横顔に視線を移した。夕陽に照らされる夕希の横顔。綺麗で格好良いと純粋に思う。今なら素直に言えるはずだ。
ずっと考えていた一つの願いを言葉にしようと口を開く。
「なあ、あのさ、お前と一緒に住みたい」
いつの日だったか、言い淀んだひとこと。ようやく口に出すことが出来た。キャンバスに鉛筆を走らせていた手を止めて驚いた顔を向ける夕希に急に心臓が早鐘を打ち出し、何か言いたくて若干早口で言葉を続ける。
「こんくらい景色良いとこに住んで、夕希が絵を描いてるとこ眺めててえなって」
鉛筆が転がる音がして、頭を撫でられた。
「素直っすね、昨日あんなに抱かれたから?」
「……取り消すぞ」
「えー駄目です。すげえ嬉しい、一緒に住みましょう今すぐ。って言いたいところですが、俺が大学卒業して自分でしっかり稼げるようになるまで待っててくれますか?」
「ああ、もちろん」
了承を得られた安堵と、夕希と同じ部屋に住める未来を想像して自然と笑みが溢れる。
大学卒業まであと二年。きっと、あっという間だ。二年で夕希はまたどれくらい大人びていくのだろう、その後も、沢山の経験を積んでもっともっと深みのある人間に成長していくだろう。
頑張る場所が違うことがもどかしくて、なんだか楽しい。
「うわ、その笑顔めちゃくちゃ良い。いつか帆多留さんをモデルに描いても良いですか」
「あー? それはモデル料貰うぞ」
「じゃあヌードで」
「じゃあってなんだよ」
「はは、また出会った頃のマンションに一緒に住みたい。俺一ヶ月しか居られなかったし」
「そん時また最上階、空いてると良いな」
素直と揶揄われようが、今は少しでも長く体温を感じていたくて、絵を描く邪魔にならない程度に肩を寄せて窓の外の夕陽を眺めた。
一人で大きな夕陽に憧れていた。どうやったらあんな風に輝けるのかと、ひたすらに憧れて、方法も分からぬまま取り繕った自分をテレビの前で演じ続けた。
そんな物は浅はかで、偽物の光だと思っていた。小さな小さな蛍のような光。それで良い、貴方は貴方だから輝いているんだと気付かせてくれた大きな夕陽が、どうかこれからもずっと隣に居てくれますように。
END.
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