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衝撃
大学の夏休みは異常に長い。
9月ももう終わると言う頃になってようやく始まった後期の講義。あまりに長かった休みのせいで身体がついていけない。見事な『休みボケ』である。
「失敗した…」
私立清涼大学文学部1年、花恋仁美はベッドの脇の目覚まし時計を見てため息をついた。昨日届いた中学時代の恩師の手紙を読み返したり、夏休み中に見た深夜番組の続きがどうしても気になって夜更かしをしたせいで、まんまと寝坊をしてしまったのだ。
『おっはよー! はるかだよー。寝坊した? 珍しいね。でも、2限は来るでしょ? 私達、いつもの所で待ってるからね。1限のノートはちゃんと取っておくから安心してね。じゃあね』
留守電機能のついた電話から、友人の声が流れてくる。仁美は頭を振ると、ベッドから降り、服を着替え始めた。
1人暮らしを始めて半年。誰もいない1人だけの部屋にも慣れてきた。先程のように、電話をかけてきてくれるような友人もできた。それなりに大学生活を楽しんでいると思う。
「あれ?」
ふと電話を見ると、留守電が2件入っている事を告げていた。初めの電話の時には全く気付かすに寝ていたらしい。仁美は苦笑すると、再生ボタンを押した。
『2件、です』
機械的な声が入り、伝言が流れた。
『秋羅が連絡先を知りたがっている。これから行く。どうするか決めろ』
名前も言わずに用件を告げる淡々とした声。こんな伝言を残す知り合いは1人しかいない。幼馴染の篠原義基。機械的に録音された時間が告げられる。仁美はため息をつくと、伝言を消した。
「秋羅、か」
仁美は買っておいた惣菜パンに手を伸ばした。パンを口にくわえたまま冷蔵庫を開け、牛乳を取り出しコップに注ぐ。
「あの子達、元気にしてるのかしら」
ふいに高校時代の想い出が脳裏を駆け巡った。緑陵学園高等部普通科。あまりにも衝撃的な事件、そして切ない別れ。
「…だめね」
仁美は軽く頭を振ると、牛乳を飲み干した。ベッドの脇に置いた恩師からの手紙が目に入る。仁美は手紙を手に取ると、中の便箋を取り出した。シンプルな便箋に、綺麗な文字が綴られている。
『静弥達に連絡先を告げていないのですね。
正直、驚きました。
でも、それだけ決意が固いということでしょう。
私は誰であろうと、花恋さんの連絡先を教える気はありません。
安心して、大学生活を満喫してください。
困った事があったら、こちらに連絡をください。
私は花恋さんを応援しています。』
勤務先の電話番号が書かれていた。恩師らしい心遣いだ。
「もう忘れるって決めたのにね」
仁美は苦笑すると、便箋を封筒に戻し、ベッドの脇に置いた。時計に目をやると、ちょうど2限の講義に間に合う時間になっていた。仁美はコップを洗って水切りに置くと、長い髪を後ろで1つに結わき、黒縁の伊達眼鏡を掛けた。鏡にいかにも勤勉そうな学生が映る。
「そうだ…」
仁美は先程の伝言を思い出した。義基は今からこちらに来ると言っていた。仁美の地元からだと、お昼位にこちらに着く筈だ。今日は土曜日で、講義は2限までなので特に問題は無いが、どこで待ち合わせるのかは言っていなかった。
「どこで待ち合わせる気なんだか。ま、終わったら電話するしかないわね」
仁美は肩をすくめると、鞄を手に取り部屋を出て行った。
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