致死量

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*その後* 初めてOD(オーバードーズ)をしてから数年が経ちました。 精神科に一度行ってみたのですが、通院する必要は無いとの事だったので薬の処方もありませんでした。 何度か市販薬でODをしましたが、それは死へ向かう為ではなく、少しだけでも苦しさを和らげたいという気持ちからでした。 それが生きたいからなのか?と聞かれたら、それは違う気がします。 死にたいと思う気持ちも心の中にあり、もしかしたら死んでしまうかもしれない行為である事も分かっています。 死のうともしていないけど生きようともしていない。 ただ薬を大量に飲む事で何も考えず眠りに落ちれる事と、吐き出すという行為が、その時だけでも何かから逃げられる事のできる行動であると、私にとっては救いだったのだと思います。 しかし、それでは何も変わりません。 そしていつしか薬を口にするのが嫌になっていました。 その行為が意味の無い事だと思うようになった気持ちと、少しの恐怖心がある事に気づいたからです。 それは死へ抗いはじめたからなのかは分かりません。 昔から健康だけが取り柄と言うほどに体調を崩す事がほとんど無かった為、それからは薬を飲むという事も無く過ごしていました。 しかし歳を重ねるごとに酷くなって痛みに耐えられなくなったのが生理痛。 痛い。動けない。眠れない。 そんな状態に耐えられず、久しぶりに薬を口にしました。 最初は一粒を口にするのですらやっとの思いでした。 もしかしたら勢いで沢山飲んでしまうのではないか?そんな不安もありましたが、生理痛を和らげるという目的がきちんとあったので、用法用量を正しく守って飲む事ができました。 今では美容と健康の為のサプリメントを複数まとめて飲めるほどに。 今でも眠れない夜があったり、気持ちの逃げ場所を探す時はあるけれど、眠る為に薬を大量に飲みたいという気持ちは今の所はありません。 けれどその気持ちが無いだけで、自分の中の苦しさは残ったままです。 全て無くなる事は無理なのかもしれない。 けれど無くせる事は無くしていきたい。 今はそう思っています。 もしも致死量の薬が目の前にあったら? 私は飲むかもしれない。 飲まないと断言はできません。 終わらせられたらいいのにって、思っている私の時に目の前にあったら、それが救いだと思ってしまうかもしれないから。 致死量の何かを死ぬまで分からない事が幸せなのかもしれないけれど、探している自分が心の中にいる私にとっては、分からない事は不幸なのかもしれない。
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