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「この話は、一郎さんにも、ぎりぎりまで内緒でした。
打ち明けたのは奥様で、飛行機の中でした」「飛行機?」
そう言えば「今回は、母も付いて来ると言うんだ。
だから、あまり電話できないかも知れない」
出かける前に、一郎はそう言っていた。
なぜ母親が付いて行くのか、不審に思ったが「勉強しに行くんですもの
私の事は、心配しないで下さい」葵は、そう言って見送った。
その後、直ぐに義治の訃報が届き、思考が停止した状態だったので
一郎からの電話やメールが、一度も無かった事に、全く気付かなかった。
飛行機の中で、諄々と母親に説得され、葵との別れを決めた一郎は
もう、学会どころでは無く、一人で生きて行かなければならない葵の為に
出来るだけの事はしてやろうと、必死になって
近藤や友達、知人に電話を掛けまくっていたと言う。
「貴女も御存じでしょうが、去年このマンションを買ったので
一郎さんには、貯金は有りません、それでも、貴方の気持ちが落ち着いて
再出発できるまでは、時間が掛かるだろうから、その間は
これで、生活をして下さいとの事です」
近藤はそう言うと、鞄の中から、帯封の付いた札束三つを
葵の目の前に置いた。
身寄りの無い自分が、新しい棲家を手に入れるのは、難しいと思った葵は
「マンションは、有り難く頂きますが、これは要りません」と、断った
どうせ、父親から出たお金だろう
二人の仲を裂く父親からの物なんか、貰いたく無かった。
「これは、一郎さんが、友達から借りたお金です、一郎さんの
貴方に済まないと言う気持ちです、どうか、受け取ってあげて下さい
私からも、お願いします」近藤は、そう言って頭を下げた。
一郎から、どんなに断られても、絶対に葵に渡してくれと
きつく頼まれていた。
「実は、今日、私の親代わりになって、育ててくれていた人の
葬儀だったんです、たった一人の身内同然の人を見送って
さっき帰って来たばかりです、その上、こんな事で、、、
打撃が大きすぎて、暫くは、働けそうに有りません。
一郎さんからと言う事でしたら、これも、有り難く頂きます」
葵は、震える声を励ましてそう言うと、唇をぎゅっと噛んだ。
「それは、、何ともお気の毒な、、」さすがの近藤も、言葉に詰まったが
「そんな事態でしたら、私は、なるべく早く退散します」
そう言って、葵にマンションの権利書も渡し
一郎とは、今後一切関わらないと言う誓約書にサインをさせ
「何か有りましたら、いつでもお電話して下さい」そう言うと
そそくさと、帰って行った。
両親を捨てられなかった一郎の気持ちも分かる、仕方ない
いつかは、こんな日が来るんじゃないかとも、思っていた。
そう思っても、自分しか居ない部屋は、二人で居た今までとは全然違う
寒々とした空気が漂っていて、どっと寂しさが体中を包む。
「こんな時、お母さんが居て呉れたら」母の温もりが恋しかった。
一郎と付き合う様になってからは、首から外して
小物入れに仕舞っていた、形見のお守りを出してみる。
「幸せになってね」そう言った、母の最期の言葉を思い出し
「お母さん、私、幸せ掴めなかったよ」そう言いながら、首に掛ける。
お守り袋が当たっている所だけ、微かに温もりを感じる。
母も、この温もりを感じていたのだろうか、辛くて死んでしまいたい。
だけど、私が死んだら、母や先生の供養をする人が居なくなる。
まだ死ねない、そう思った葵は「何か、食べなくっちゃ」財布を持つと
のろのろと、コンビニに向かった。
ぼーっと、コンビニの中を巡り、無意識に、おにぎりやパン
インスタントラーメンなど、何個も籠に入れて行き
レジ係に、大きな袋を渡されて、やっと買い過ぎた事に気付いたが
もう、返す気力も無かった。
重い袋を下げて、マンションに向かっていた葵は
付けて来た若者三人に襲われ、財布を盗られた。
中の一人が「何だこれ、ネックレスかと思ったら、お守りかよ」と
面白がって、葵のお守りを引きちぎり、手に持った。
「返してっ、それ、私の物よっ」葵は、大きな声で叫んだ。
たった一つの温もり、母の形見だけはと、必死だった。
葵の叫びが、終わるか終わらないうちに、白い煙と共に
着物姿の男が現れ「悪人どもめ、去れっ」あっという間に、三人を
扇の様な物で打ち据え、財布を奪い返して追い払った。
吃驚している葵の傍へ来た男は「姫、お怪我は?」と、助け起こす。
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