しゅん ろく

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しゅん ろく

「しゅん。ちょっといい?」 ある日片付けをしていると、 央人が声をかけてきた。 こいつまだ残ってたのか? 「おぉ どうした?」 わかっている。どうせ莉子のことだろ? わかっているけど、そ知らぬふりをする。 「しゅん。最近歌の感じ変わったね」 「え? そう?」 お互い探るような会話から始まる。 「うん。前みたいな歌もう歌わないの?」 なんか央人(こいつ)にしては歯切れが悪い気がして、 なんだかイライラする。 「何が言いたいの?」 つい言葉に怒気がこもってしまう。 その瞬間—。 央人の目の色も変わった気がした。 「莉子さどうしたの?」 そうそう、それでしょ? お前が一番聞きたいのは。 央人の言葉ににやけてしまう。 お前の大切なものが、俺の手の中にある。 それが俺の気持ちを満たしている。 自分でも気持ち悪い感情だと思う。 でも止められない。 「央人に関係あるの?」 煽り続けてしまう。 「俺さ、莉子のこと大切だから、 あんまり壊してほしくない」 こんなに早く直球かましてくると思わなくて、 ちょっと驚いてしまう。 でも『やっぱりね』という優越感に浸る。 央人だって、今まで女なんて軽く見てたくせに、 良く言うよ、とか思ってしまう。 「でも莉子は‥」 「わかっている」 “莉子は俺が好き”と言おうとした俺の言葉を、 央人が素早く遮った。 それでもマウントをとりたい俺は、 「でもさぁ、一回やってみたらさ、 俺は莉子じゃないなって思ったんだよね」 と言葉を続ける。 央人の眉が少し上がる。 「でも莉子さ、むちゃくちゃ俺に懐いてきて、 いろいろしてくれるじゃん? だから振るのもったいないしなぁ」 わざと央人から視線をそらして空を見てそういう。 「付き合ってるってこと?」 そう言った央人の顔を見て驚く。 何ガキみたいな顔してかわいいこと聞いてるんだよ。 そう思った。 「いや」 俺ははっきりと否定する。 「じゃぁ半年も宙ぶらりんなままにしてるってこと?」 はぁ?お前がそれ言う? 彼女だか何だかわからん女なんて、 央人にはいくらでもいるんじゃないのか? 「央人だって一度寝ただけの女いっぱいいるでしょ?」 さすがに央人は何も言い返して来ない。 「それに俺、今他に女いないし。 もしやりたくなったら、 また莉子としたらいいかなって。 相性悪くないし」 そう言った後わざと央人の耳もとに、 「莉子も『央人よりいい』って」 と言ってやった。 我ながら悪趣味だ。 自分でもわかってる。 でも俺の中の何かが満たされる。 央人に殴られるくらいの覚悟はしていた。 それはなかった。 「時間取らせ悪かったな」 意外にも央人は、俺には視線も会わせず俺に背中を向けた。 「お前かくずでよかったわ」 はっきりとは聞こえなかったが、 央人が小さくそう言ったように思えた。 央人への嫉妬心や対抗心が満たされたのに、 その言葉を聞いた瞬間、央人に持っていた変な対抗心が、 どうでもよくなって、 満たされていたはずの心は、 空っぽだなって—思えた。
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