しゅん なな

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しゅん なな

央人と話した後から、 満たされていたはずの気持ちが空っぽになって、 そこに虚しさだけがたまっていった。 俺…何してたんだろう…。 あんなに好きだった歌もうまく歌えても楽しく思えなくて、 何にも満足できない。 あぁ俺、 あんなに幸せそうに俺の歌を聴いてくれてた莉子を、 傷つけてしまったから歌にきらわれたのかなぁ? そんなことまで考え始めた。  ある日—。 しばらく来ていなかった央人がふらっと現れた。 央人は仲間たちとしばらく話したあと、 俺のところに来た。 なんだか少し緊張してしまう。 「久しぶり」 央人はいつも通り何もなかったように話しかけてきた。 俺は軽く手をあげてあいさつをした。 「何か歌に張りがないねぇ。 もしかして反省しちゃった?」 とチャラさ全開で聞いてくる。 「あっもしかしてやっぱり莉子のこと本気で好きだったとかないよね?」 そう聞いてくる瞳は鋭くて、 ちょっとたじろいでしまう。 でも俺は素直に答える。 「正直今わからん」 「まじか?」 俺の答えに央人はちょっとうなだれて、 一口ビールを飲んだあと思いきったように俺に言った。 「あのさ、お前莉子のこと傷つけたじゃん? それに少しでも罪悪感とか湧いてきてんならさぁ、 莉子のことちゃんと振ってやってくんない?」 はじめて俺のことを“お前”と呼んだ央人は ビールをテーブルに置いて、 両手を合わせてお願いのポーズをする。 丁寧なのかケンカ売ってるのかよくわからん態度。 でも、こういうことか。 央人はやっぱりちゃんとしてる。 チャラいしいい加減な感じだけど、 周りちゃんと見てるし、 無駄に誰か泣かせたりしないんだ。 「いや俺もさぁ、 昔のこと言われたらしゅんのこと悪く言える義理ないんだけどさ、 莉子の気持ち弄ばれたくないんだよね」 ださいっしょ?と笑う央人。 「だから、しゅんが莉子を利用しただけで、 女として見てないなら」 そこまで言った後、急に声の糖が変わった。 「ちゃんと振ってやってよ」 こんなに真剣な央人は、今まで誰も見たことないだろう。 央人の本気(これ)を見せられたら、 もう何も言えないよ…。 「あぁ わかった」 正直罪悪感から逃げ出したい気持ちもある。 それで莉子を央人になんとかしてもらえるなら…、 っていう甘えもある。 だけど央人は全部わかっているんだろう。 「よかったまじさんきゅ」 初めから央人とは勝負になんかならなかった。 祖を笑顔を見たら思い知らされた。 それから何日かして、 莉子が央人と同じようにこれまたふらっとやって来た。 もうかなり深い時間で2、3人がいるだけだった。 莉子はコーヒーメーカーに残っていたコーヒーを、 そいつらと一緒に一杯飲んで一緒に席を立った。 俺とは絡む様子も見せなかった。 俺はあわてて声をかけた。 「莉子」 その声に振り向いた莉子の表情はなんとも言えなかった。 前みたいにすがるような雰囲気はなく、 でも感情も感じ取れないような。 不思議な感じだった。 「莉子 あのさ」 長話をする気はなかった。 また莉子に期待させてしまうのはダメだと思ったから。 「俺 俺 莉子を女として好きになることはできない。 ごめん」 頭を下げてそう言った。 莉子からは何の反応もない。 下げた頭をあげることができなくてそのまま話し続けた。 「さんざん期待させて、 莉子の気持ちわかってたのに、 こんな時間たってからこんなこと言って本当ごめん」 「あ うん‥」 もっと取り乱すかとおもったけど、 莉子は小さくそう言った。 「わかった。また歌聴きにくるね」 表情はわからないけど、俺に背中を向けたのがわかった。 莉子の気持ちを察することはできなかった。 でもそれでいいと思えた。 ここから先は、俺じゃない…。
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