央人 いち

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央人 いち

莉子は普通の事務員だ。 OLと言うより“事務員”だ。 まぁ見た目からいけば中の下だ。  しゅんのところで会った彼女は、 人と話すでもなくだけど相づちはうったりしながら、 じっとしゅんの歌に耳を傾けていた。 初めはしゅんの歌に興味あるのかないのか、 それすらもわからないほど表情も乏しかった。 でも良く見たらしゅんの歌に酔っているように見えた。 いつも1人で来てるようだけど、 しゅんのとこにいる奴らと、 別に距離を置いてる訳でもない。 そう思ったから俺も彼女には気軽に声をかけた。  「人との距離を自分で計れないから、 私との距離は相手に任せてるの」 『話しかけられるのっていや?』 俺がそう聞いたとき彼女はにっこり笑ってそう言った。 でも実際彼女は周りからは『冷たい』とか『愛想悪い』 なんていわれることも多いようだ。 「俺的には俺のペースで付き合えるから、 莉子とつるみやすいよ」 そう伝えると莉子は嬉しそうにしてくれた。 まぁ俺の笑顔みたら大抵の()は堕ちる。 でも莉子はほんとに"友だち”というスタンスのままだった。 「私空気読むのも苦手だから、 嫌だと顔や態度に出ちゃうんだ」 と前もって謝ってきたけど 「分かりやすくていいんじゃない」 と返した。 正直女に困ってなかったし、 もう“盛りがついた”歳ではない。 でも、ネオンの明るい街で会った莉子は、 何とも言えない『助けてあげなきゃ』と思わせるような、 そんなふうに見てた。 理屈じゃない、欲情でもない、 ただ暖めてあげたくて…。 俺も莉子の体温がほしくて— 莉子を抱いた。 そして莉子も何の抵抗もなく俺を受け入れた。 肌を重ねた後も、莉子は何事もなかったように帰っていった。 莉子が俺の部屋をあとにして1人になったとき、 ふと不安になる。 莉子のこと、女としてはあまりにも知らなすぎる。 メンヘラだったらどうすんだ俺。 彼女面とかは無さそうだけど、 ちょっと頭を抱えたあとダチの言葉を思い出す。 『女にさされるぞ』— やべーな。 でもちょっと考えたら、過去のどの女よりも、 莉子に刺されたほうが救われる気がする。 そんな風に思い至っってしまった。 はは…俺どうかしてるな。 乾いた笑いがもれる。 でもそのあと莉子は何もかわらなかった。 いや、怖いくらい何もかわらなかった。 この俺が夢だったかなと思うほど、 いつものようにしゅんの歌に耳を傾けて、 話しかけてくる奴らにも— もちろん俺にも笑って答えるだけだった。
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