影女

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「若葉さん、出勤早々なんですが…クロを見ませんでしたか?」 『タタリアン』に出勤して早々、珍しく慌てている様子の相志さんに尋ねられました。付喪神のクロちゃんが『タタリアン』に来て2日目の朝です。 「いえ…見てませんけど、紫苑さんと一緒じゃないんですか?」 紫苑さんは付喪神のクロちゃんをいたく気に入られたようで、祟りの後からずっと手離さずに居たのです。クロちゃんもそれを喜んでいると思っていたのだけれど… 「今朝から姿が見えないんです。勝手に姿をくらますなんて…参ったな…」 「…何かあったんでしょうか?」 私がそう言うと、相志さんは首を捻っていた。 「僕や紫苑様とケンカした訳ではないのですけど…申し訳ありませんが、探してきて頂けませんか?一般人の前で付喪神が動いている様子を見られると後々面倒になると思いますので」 そして私は結局傘を畳む間も無く、雨の中、付喪神(クロちゃん)探しをすることになったのでした。  とは言ってもクロちゃんが行きそうな所って何処があるだろう?  萌ちゃんのパパの家だろうか?と言っても私はその家の場所を知らないし…  結局、私の眼と直感、サンの“鼻”に頼って歩き回るしかない、という結論に達した私は、サンを肩に乗せて雨の日の散歩と洒落込む事に決めました。  そして何の発見も無いままでお昼を少し過ぎた頃、サンが何かに気が付いて、私に声をかけてきた。 「ママ、悲しい幸せの匂いがするよ」 「悲しい…幸せ?」 悲しい幸せとはどういう意味だろう。とにかくサンが反応したのならば行ってみるしかない。 「クロちゃんかもしれない!どっち?」  サンの案内で訪れたそこは、墓地でした。  立ち並ぶ墓石の合間を縫い、サンが指示する方向へ進んでゆくと、雨に濡れてぺたんこになりながら、四肢をだらりと投げ出して、墓石の前に伏せる黒猫のぬいぐるみが――クロがいました。 「クロ…?」 クロに声をかけると、水を吸って重くなった頭をどうにか持ち上げて私の方を見ると、溺れるような声で「なーん」と一声泣いた。  水を吸って重くなったクロを抱えて『タタリアン』に戻りました。  クロは雨と泥に汚れ、足裏や腹は破れて中の綿が飛び出していたが、相志さんによって修繕と洗濯(入浴?)が行われ、数時間後には初めて会った時よりも綺麗な姿を取り戻していました。  クロの修復がひと通り終わると相志さんは、 「僕は紫苑様にクロが戻った事をお伝えしてきます」 と言って二階へと上がっていった。  少しばつが悪そうにぺたりと座って動かないクロ。こうして見ているだけなら本当に普通のぬいぐるみである。 「何があったの?クロちゃん…教えてくれる?」 私がそう尋ねると、クロは顔を伏せたままで小さく呟いた。 「パパに…会いたかったにゃ」  萌とパパと一緒に遊んできたクロは、どうしても萌の事が、一緒に遊んだパパの事が忘れられず、かすかな記憶と匂いだけを頼りに『タタリアン』を飛び出したそうだ。  そして一日かけてやっと見つけたパパの家。  只のぬいぐるみだった頃に住んでいた社宅とは比べ物にならない、お屋敷の様な大きなお家。  喜んで迎えてくれると思い、インターホンに飛びついてパパを呼んだ。  だが――クロを出迎えたのは知らない大人の女性と、その胸に抱かれた赤ん坊だった。  パパには新しい家庭があったのだ。優しそうな奥さんに、生まれたばかりの子供。  クロは普通のぬいぐるみのフリをしたが、新しい奥さんらしき女性に抱えられてパパに手渡された。 「誰も居なかったんだけどね…これが置いてあったの。何かしら?」 そう言われてクロはパパに手渡された。 「そ、そうか…近所の子が置いていったのかな?ちょっと外、見てくるよ」 パパはそう言ってクロを外に連れ出した。外に出ると、 「お前、クロだよな――どうしてこの家に来たんだ?」 と言ってきたらしい。 「会いたかったにゃ。萌ちゃんいないし寂しかったのにゃ」 クロは喜んでパパに頬擦りしながら答えた。パパも喜んでくれると思っていたらしい、だが、パパの台詞は全くの予想外だった。 「クロ、俺には新しい家庭があるんだ。妻も新しい息子もいる。この家にお前の居場所は無いんだよ――帰ってくれ」 クロはそう言われ、そのまま道路に放り投げられた。 「どうしてにゃ?クロはもえちゃんとパパのぬいぐるみにゃ」 訳が分からずぽてぽてとパパに近寄るクロ。 「そのとき蹴ッ飛ばされて言われたのにゃ。『お前はもう――いらないんだよ』って」  一緒に遊んでくれたパパにも“不要”とされ行き場を失ったクロはそれから、萌の眠る墓の前でずっと座り込んでいたと言う。  ここで待てば、萌ちゃんが連れて行ってくれるかも――そう思ったらしい。 「お母さんみたいに捨てられて、クロはもういらないって言われたにゃ。パパは新しいぬいぐるみ買ったのかにゃ?」 子供由来の純真さで、“要らない”と言われた理由を考えているクロ。 「クロ…」 クロはおもちゃとしても、家族としても居場所を否定されてしまった。だからこそクロは失ってしまった萌ちゃんの元へ行こうとして、墓前で朽ちる事を――悲しみの中に幸せを探そうとしたのだ。  あの時は萌ちゃんの命を救おうとして私も必死だった。けれどその術を行使した所為で、クロには二度も辛い思いをさせてしまった。赦される事ではないかもしれないが、せめて謝りたかった。 「ごめんね、クロ…私のせいだよね。私がクロを付喪神にしなければ…こんな辛いことには――」 私はクロちゃんを抱き寄せた。私のせいで辛い思いをするハメになった付喪神に謝りたかった。けれどクロちゃんは首を傾げながら私を見て、 「どうしてあやまるにゃ?」 と言いました。 「萌ちゃんとお話できたし、ぎゅっとしてもらえたにゃ。それにお別れは悲しかったけど、付喪神になってなかったら見送る事も出来なかったにゃ。だから、クロは幸せなぬいぐるみなのにゃ」 と、私の顔を真っ直ぐ見ながら答えてくれた。 「だから、こわれたら萌ちゃんに会えると思ったのにゃ。だから泣かないで欲しいのにゃ」  その時、部屋の襖がつぅと開き、普段着姿の紫苑さんと相志さんが現れた。紫苑さんはその美しい手をクロの方へと差し伸べてひと言、クロを呼んだ。 「おかえりなさい、クロ。おいで!」 紫苑さんの“おかえりなさい”という言葉が嬉しかったのだろう。クロは勢い良く紫苑さんの胸へと飛び込んだ。紫苑さんはそんなクロの頭をそっと撫でると、優しく言いました。 「私は貴方を捨てるなどしません。汚れても解れても、相志が綺麗に直してくれます――私達が貴方の新しい家族です。だからこれからもずっと一緒に遊んでください」 自分で直す気は無いんですね…まぁ私も直せないと思うけど。泣いた目を擦り、相志さんに声をかけた。 「ご苦労様です…相志さん」 「紫苑様にお任せするとぬいぐるみが謎の物質に分解されてしまいますので」 勝手に仕事を任された相志さんは、ヤレヤレといった様子だ。 「ずっといっしょに遊んでいいのかにゃ?」 抱かれながら紫苑さんの顔を見上げるクロ。 「もちろんですよ。これから宜しくお願いしますね」 そう言って紫苑さんは優しく笑った。 「かぞくができたにゃ!嬉しいにゃ!みんないっぱいぺろぺろするにゃ!」 クロはそう言うと、紫苑さんの腕を抜け出して肩に登り、ぎゅっと縋りつくと頬をペロペロと舐めはじめた。 「くすぐったいですよ、クロってば…」 そう言って笑う紫苑さん。笑った顔も尊いわ…  そしてクロは相志さんへと飛び移り、イケメンフェイスをひとしきりペロペロすると今度は私に向かって飛び付いた。そして、 「付喪神にしてくれてありがとにゃ。若葉はクロのママにゃ!」 そう言って私の頬や鼻など顔中を、ふわふわの舌で舐め始めた。気持ち良いけど、ちょっとくすぐったいな…と思っていると、 「ママはサンのママなの!」 と、やきもちを焼いたのか、サンまでも私の顔をペロペロし始めた。  気持ちは嬉しいけど…君達、そろそろ顔の前から退いてくれるかな…?  その後、萌の父親は事業が失敗し、大きな家も妻子も失ったと風の便りに聞きました。 「それはきっとクロという福の神を追い出したからでしょうね」 と相志さんは言っていた。  そっか。クロちゃんて『歳神』から作ったんだもんな。そりゃあ福の神だわ。  その代わり、クロのおかげなのでしょうか、『タタリアン』はしばらく忙しい日が続いたのでした。そのせいで…とは言いませんが、閉店間際に来て売れ残りのケーキを(知り合い価格で)召し上がっていかれる小鳥遊さんが、何日もうちのケーキにありつけない日々が続いたとさ。  そして、新しい家族となった付喪神のクロはというと…  普通のぬいぐるみのフリをして『タタリアン』の店先に座り込んでお客さんを眺めたり、それに飽きるとサンと追いかけっこ。それが終わると紫苑さんの布団に潜り込んで一緒に寝たり、と『タタリアン』での生活を楽しんでいるようです。  そして今はみんなの前でダンスを披露しています。  まぁ、ダンスと言ってもリズムに合わせてお尻を振ったり手を振ったりなのだけれど、それがまたいちいち愛らしい。そして紫苑さんはそれをとても楽しそうに眺めては惜しみない拍手を送っています。 「上手ですよ、クロ!」 「ありがとにゃ。紫苑が喜ぶなら嬉しいにゃー!」 そう言ってクロは紫苑の背をよじ登り、肩を乗り越えて胸元に到着すると、腕を広げてそのままぎゅっと抱きついた。紫苑さんもそんなクロをぎゅっと抱き締めて楽しそうな笑みを浮かべている。クロの幼稚な遊びに合わせている、と言うのではなく本当に楽しそうにしている気がして、そっと相志さんに尋ねてみた。 「クロちゃんと遊んでいる時の紫苑さんって、本当に楽しそうですね」 すると、質問の意味を察したのであろう相志さんが、神妙な顔つきになって答えてくれた。 「紫苑様の家――葛葉の家は、古くからのしきたりに縛られ周囲からは畏れられ、幼少の頃から周りに友達と呼べる相手は居ませんでした」 相志さんが居たじゃない、と言いたくなったけど、相志さんと『普通の友達』とはまた違うんだよね。これは何となく分かる気がする。 「ですから、普通の女の子の様にぬいぐるみで遊ぶような事など無かったんですよ。だから、子供の様な遊びが素直に楽しいのだと思います」 そう言いながら紫苑さんを優しい眼差しで見つめる相志さん。 ぬいぐるみやお人形と遊んだりするような、小さな女の子なら当たり前の事も出来なかったのかと思うと、それはとても辛い事だと思うけれど、それが当然という世界もまた存在するという事だ。 「紫苑様はご尊父様とご母堂様を失われたことで葛葉の呪縛からは解き放たれる事となりましたが…」 少しの時間を置き、続けて答える相志さんだったが、少しだけ口にし辛そうだったので私が代わって答えた。 「物部がそれを良しとせず…紫苑さんを嫁に迎えようと動き出した」 「はい。そして私達は夢見様に匿われたのですが…紫苑様は御二人の仇討ちという呪いを自らに課したのです」 「全部一切を捨てて逃げようとは思わなかったんですか?…普通の暮らしをしようとは思わなかったんですか?二人で…遠くに逃げるとか」 私がそう言うと相志さんはほんの少し眉根を寄せ、苦しそうな表情を浮かべると、 「全てを捨てる訳には…ご尊父様とご母堂様を殺した犯人を赦す訳にはいきませんでした。結局、僕達は自ら“葛葉”の呪縛に囚われる事を選んだのです…ですから、紫苑様には少しでも…笑顔で居て欲しいのです」 そう言って穏やかな眼差しを紫苑さんに向ける相志さん。 「愛してるんですね…紫苑さんの事」 思わずそう口にすると、相志さんはイケメンな顔をカキーンと凍らせたように硬くして私を見やりひと言、 「――は?」 と言いました。 「…えっ?」 「有り得ません。主従と恋愛は全くの別です。野に下ったというのに未だお召し替えすら満足に出来ない様な方を、女性として愛せると思いますか?全く…僕が居ないと何も出来ないなんてこれからどうなさるお積りなのか…」 相志さんはそう言って、やれやれと言った様子で紫苑さんと戯れるクロを眺めていた。  相志さん、それは貴方が今までずっと甘やかしてきた所為ですよ。  世間ではそれを愛って言うんだと思います。  ――うん。多分ね。
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