笑い般若

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 『笑い般若』の祟り主だった女性達がテレビに出ていた。紛争地域からの難民をもっと受け入れて欲しい、と彼女達は訴えている、という報道だった。紛争に巻き込まれた日本人女性、と注目を集めているようだが、どんな扱いをされていた、までは広められていない。  日本においての難民申請はとても厳しい、とどこかで聞いた気がする。それ故に、自国での体験を公開して訴えているのだろう。  信仰、故郷の土地、愛する隣人達、己の尊厳を奪われたこの女性達はこれからどうなるのか。願わくば穏やかに暮らせる場所が見つけられるよう祈るばかりだ。  厨房のテレビを見ながらそんな事を考えていると、店のドアベルが揺れて来客を告げた。急いで出迎えると、近頃はめっきり姿を見せなかった小鳥遊さんがそこに立っていた。 「久しぶりぃ!みんな元気そうだね」 「小鳥遊さん!お久しぶりです!あ、でも今日はまだ…」 少し前まで小鳥遊さんは、閉店時間少し前に訪れては売れ残ったケーキを格安で大量に召し上がっていかれていたのだけど、クロちゃんが店に来てからケーキ屋さんとしての客足が伸び始め、今では閉店時間前に完売する程なのだ。なので“美味しいケーキをお手頃価格で大量に”という小鳥遊さんの希望は叶わず、足も遠のいていたのでした。 「今日は違うの。ケーキを食べに来たんじゃなくって陰陽師さんにお話があってね――頼まれてた調べ物の件で」 そう言って二階を指差す小鳥遊さん。その様子を聞きつけて相志さんが顔を出した。 「ご苦労様です、小鳥遊さん。僕は紫苑様を呼んできますので、若葉さんは小鳥遊さんにケーキセットをお願いします」 私が快く返事をすると、相志さんは二階の紫苑さんの所へと向かっていきました。 「サンちゃーん!おいで!」 満面の笑みでサンに声をかける小鳥遊さん。 「はーい!」 その呼びかけに喜んで私の肩を飛び降りて駆けつけるサン。巨乳の上に乗って小鳥遊さんに頬ずりし始めている。 「あれ?サンちゃん少しおっきくなった?」 「同じだよ?」 「にゃ―――!やっぱり君は可愛いなぁぁぁ!」 無駄にデカい胸の上で小鳥遊さんの頬ずりに喜んで応じるサン。式神といえどやはりオスはデカい方が好みなのか?と思いながら厨房に戻ってケーキの仕度をしていると、クロちゃんがこちらにとことこやって来た。テーブルにひょいと乗り、私をポンポンと叩くと小鳥遊さんの方を見て、 「あの人誰にゃ?サンがいっぱいスリスリされてるのにゃ」 と聞いてきた。 「あの人は小鳥遊さんと言ってね、私達の事を知っている人なの。あ、でもクロちゃんの事はまだ知らないのか…」 「クロも一緒に遊びたいにゃ!」 「じゃあ紹介してあげるよ、おいで」 手を出して私の所に来るよう促す。喜んで私に飛びつこうとしたクロちゃんだったけど、ふと動きを止めると手で自分の顔を押えて少し考え込み、 「ここは“さぷらいずあたっく”するのにゃ!」 と言い出した。どこでそんな言葉を覚えてきたのやら… 「紫苑さんをお待ちの間、こちらをどうぞ」 そう言っていつものケーキと紅茶のセットを小鳥遊さんのテーブルに届ける私。その後、 「うちの新顔が来ますので、驚いてあげてくださいね」 と小声で小鳥遊さんに伝える。頭に「?」を浮かべていた小鳥遊さんだったけどクスリと笑い小声で、 「分かったわ。楽しみにしてるね」 と言ってくれた。  ショーケースの内側まで戻り、さてクロちゃんはどんな“サプライズアタック”を仕掛けるのかな、と期待して待っていると、普通の猫のようにショーケースへピョンと飛び乗ったクロちゃん。おぉっといきなり大胆な行動だ。  その様子に気付いたのか、小鳥遊さんがこちらを向いた。そして数秒ほどこちらを観察するような目を向け、 「あれ?ぬいぐるみ飾るようになったんだ?」 と聞いてきた。 「え?えぇ…」 とぼけるフリをして応じる私。  それ以上“ぬいぐるみ”には触れずにケーキを楽しむ小鳥遊さん。  そんな小鳥遊さんに向け、ショーケースから降りて背後からそろりそろりと歩いて近付くクロちゃん。  ――急に小鳥遊さんがバッと振り向いてクロちゃんに視線を向けた。  ビクンとして固まるクロちゃん。 「…なんだ、ぬいぐるみか」 そう言ってケーキに向き直り、大きな塊を口に入れる小鳥遊さん。 「よし、バレてないにゃ…イケるのにゃ」 その様子を見て、安心して思わず口にしてしまっているクロちゃん。いや喋ったらダメでしょ。 「ぬき足さし足にゃー…」 なんと“抜き足差し足”と声に出しながら接近するクロちゃん。その声にバッと振り向く小鳥遊さん。驚きながらも床に二本足で立ち、プルプル震えながらも動かないように我慢するクロちゃん。というか何故二本足で立ち止まる。 「気のせいかな…」 と言って、再びケーキを食べ始めた。 「足音立ててないから気付かれるワケがないのにゃ…あぶなかったにゃー、気をつけるのにゃー」 うん。足音はしてないけど思いっきり喋ってるからねクロちゃん…。というか小鳥遊さんも肩プルプル震えてますし。  その後も“だるまさんがころんだ”の要領で、小鳥遊さんが顔を向けるたびにピタリと動きを止めるクロちゃん。まだバレてないと思っているのだろうけど、クロちゃん…普通のぬいぐるみは立って歩いたり、手を挙げたまま停まったりしないからね?  そんな事を繰り返しながらようやく、知らぬ顔でケーキを食べる小鳥遊さんのテーブルへとよじ登ったクロちゃん。姿を隠す事も考えずにテーブルの上を歩き、小鳥遊さんの横に回ると、両手を上げて顔の前に飛び出した。 「にゃーっ!!」  しかしクロちゃんのドッキリ大作戦に眉一つ動かさない小鳥遊さん。フォークを咥えたまま、飛び出してきたクロちゃんの頭を左手でガシっとキャッチした。 「捕ったど!」 「うにゃっ?!」 逆に驚いて両手をジタバタさせるクロちゃん。 「わっはっはっ!十年早いわぁー!」 小鳥遊さんはそう言うと、クロちゃんを天井近くまで高々と放り上げてはキャッチを繰り返した。 「に゛ゃーー!!目が回るにゃー!たーすーけーてーにゃー!」 大笑いしながらそんな事をしばらく繰り返した後、小鳥遊さんはぐったりするクロちゃんを猫掴みで顔の前まで持ち上げようやく… 「で…この子は何?式神じゃなさそう…っていうかぬいぐるみだよね。何で動いてんの?」 と聞いてきた。当のクロちゃんは小鳥遊さんにだらりと摘まれながら、 「怖かったけど面白かったのにゃー。次は負けないのにゃー」 と、全く懲りていない様子です。 「ぬいぐるみの付喪神、クロちゃんです」 「…付喪神?」 「古い器物が魂を得た妖怪です」 「これ…そんな古くないよね?お店で見た事あるもん」 「いろいろありまして…私が作りました」 私が言い澱んだ事に何となく事情を察してくれたのか、小鳥遊さんは小さく頷くとそれ以上聞くのを止めてくれました。 「クロにゃ。よろしくなのにゃー」 首を摘まれぶらりとしながら元気に手を挙げるクロちゃん。 「私は小鳥遊露草。紫苑さんと若葉ちゃんのお友達よ。よろしくね」 クロちゃんはそんな小鳥遊さんの顔をまじまじと見つめると、 「つゆ…くさ…つゆ…おつゆさんにゃ!」 と言い出した。きっと『たかなし』も『つゆくさ』も言い難かったのだろうな。そしてそれを聞いたお露さんは、 「あなうらめしや新三郎さま…って知ってて言ってるのかな?この子」 と両手を胸の前でだらりと下げる素振りを見せた。 「いや…というかお露さんと新三郎さまって…何ですか?」 「えっ…こんな仕事してる癖に『牡丹灯篭』知らないの?」 「えっ?…あー!はいはい。いやいや知ってますよ?でも昔話と陰陽師って別に関係無いじゃないですか」 「昔話じゃなくて落語の怪談噺だよ…知らなかったね、若葉ちゃん?」 さぁ吐けっとテーブルをバンバンするフリをする小鳥遊さん。その隣で真似をしてテーブルをポンポンするクロちゃん。その様子を静かに見ているサン。 「うぅ…勉強不足でした…」 「安心するにゃー。今度クロが教えてあげるのにゃ」 「お願いね、クロちゃん…」 私の言葉に偉そうに踏ん反り返るクロちゃん。それを見たお露さんが気になったのか、 「ところでクロちゃんてさ…『牡丹灯篭』知ってるの?」 と聞いた。それに対し、 「知ってるにゃ!みんなの服についてるボタンの事にゃ。それがいっぱいある道路の事にゃ!きっとキレイで楽しいのにゃー」 両手を上げて楽しそうに語るクロちゃん。 「それは『ボタン道路』だね。というか若葉ちゃんさ…もう私の事『お露さん』で通し始めてるでしょ?」 さすが刑事さん。言われてから二行目で脳内で言い始めてます。今後もお露さんで決定です。 「ま、まぁ良いじゃないですか。怪談噺の幽霊って事は美人さんなんですよね?」 「美人に例えられるのは悪い気がしないけどさ…夫婦になる前に恋焦がれて死んじゃうってのはなぁぁぁぁ」 スプーンを咥えながら悔しそうに語るお露さん。 「まだ結婚してないんですか?」 「免許更新みたいに気軽に言わないでくれるかな…?明日はわが身って言葉、知ってる?」 「まだ『急いては事を仕損じる』がまだ通用する年齢なので」 「というかさぁ…相志さん見ちゃうと…ねぇ?」 まじまじと溜息を吐くお露さん。 「あー、それはあるかもしれませんね。イケメンの常習って危険ですね」 「相志さんは危険薬物扱いなワケね。というか職場のゴリラ共が本物のゴリラに見えてくるから不思議よねぇ」 「ゴリラの中にイケゴリは居ないんですか?」 「イケゴリって何それイケてるゴリラ?どんなにイケててもゴリラはゴリラだからね?興奮して銃撃ちながらウ○コ投げる奴らだからね?」 「それは本気でゴメンナサイですね…相志さんに知り合い紹介して貰いましょうか?陰陽師関係の人ってイケメン揃いですよ」 「マジですか」 「この前紫苑さんがお世話になった方にお会いしましたけど、40代のナイスミドルでしたよ。女たらしっぽいですけど」 「チョイ悪イケオジかぁ…そういう人の隣ってさ、逆に穏やかで幸薄そうな人が似合うと思わない?」 「お露さんとは正反対ですね」 「…なんか私の扱いが雑になってない?若葉ちゃん。これか?このセクシーボディへの嫉妬か?」 そう言って胸をたゆんたゆんと揺らすお露さん。 「そんな反則ワザを持っていても結婚できないって不思議ですよね…他に問題があったりするんじゃないですか?料理が壊滅的とか興奮するとウ○コ投げるとか」 「誰がゴリラじゃ!…はっ!もしや…誰かに祟られてるんじゃ?!」 「現実から目を背けないで下さい」 そんな会話を楽しんでいると、店の奥からこんぺいさんの声が聞こえてきた。 「俺様が式神でなかったら嫁にしてやったんだがなぁ」 だいぶ以前の丸々しさを取り戻してきたこんぺいさんを先頭に、ワンピース姿の紫苑さん、パティシエ姿の相志さんが二階から降りてきていた。 「そう言ってくれるだけで嬉しいよぉこんぺいちゃん…」 オヨヨと泣く真似をするお露さん。それを本気で心配してポンポンと背中を叩くクロちゃんがいた。 「ワゴンセール行きは辛いのにゃ」 「けっこう抉ってくるねキミ…」 「そんなにご心配ならば、良縁を呼ぶ祈祷でもしてさしあげましょうか?」 こういう話には参加して来ないと思っていたら、まさかの参戦である紫苑さん。黄色のワンピースがよく似合っている。 「出来るのっ!?」 ガバッと立ち上がって食い付くお露さん。それへ紫苑さんが穏やかに応じる。 「勿論ですよ。本来こういった祈祷や願掛けに関しては『物部』の仕事なのですが、葛葉は“やらない”だけで“出来ない”訳じゃありませんから」 そうだったのか…ん?という事はもしかして… 「若葉さんにも、そのうち覚えて頂きますからね」 やっぱりっ…でも陰陽師(わたしたち)の祈祷って効果バツグンの様な気がする。 「ご苦労様でした、小鳥遊さん。では…お聞かせ下さいますか?」 そう言ってお露さんの正面に座る紫苑さんと、その隣に座る相志さん。テーブルの上にはクロちゃんとサン。そして向かいの席にはお露さんが座っている。 「ところで紫苑さん、調査内容は『葛葉松栄』とその妻『葛葉楓』が殺されたという事件について、で間違いないよね?」 小鳥遊…お露さんの確認に無言で頷くお二人。やっぱり並ぶと絵になるわこのお二人ゃ… 「過去の捜査資料についてはね、警察署の全壊という惨事(『鉄鼠の項を参照』)に見舞われながらもほぼ無傷で回収することが出来ていたの。データ管理していたPCもハードディスクは無事だったしね」 そこまで言うと残ったケーキを口の中に掻き込んで紅茶で流し込み、呼吸を整えると神妙な顔つきで話し出した。 「…いい?落ち着いて聞いてよ?」 小鳥遊さんの向かい側で、いつも通り静かな雰囲気の紫苑さんと、こちらも変わらず静かなイケメン顔の相志さん。テーブルの横に立って思わず身を乗り出しそうになる私。さすがのクロちゃんも空気を読んだのか、テーブルの上でサンと並んで静かに座っていた。 「紫苑さんのご両親が殺されたという事件は…警察内には存在しなかったわ」  思わず紫苑さんへと目が行く。しかし風に吹かれた様子も見せない紫苑さん。  当主の疑問を代弁するように相志さんがお露さんへと問い質した。 「…どういう、事ですか?」 「捜査記録も残されていない。当時の事件について覚えている人も存在しない…担当したと言う刑事すら残っていなかったの。まさかと思って本庁のデータベースも調べて貰ったわ。そしたら…」 「…まさか?」 思わず声を出してしまった。だが誰も嫌な顔一つせずにお露さんの話を聞き入っている。 「そのまさかよ。本庁のデータベースにも、その事件は記録されていなかった。ここまで来ると逆に私がオカシいんじゃないかと不安になったわ」 そこまで言うと、スーツの内ポケットから折り畳んだ紙を取り出し、テーブルの上で広げて見せた。 「でも、当時の新聞にはその記録が残されていたの。コピーを持ってきたわ」 置かれたコピーに目を走らせる。“小夜鳴市において、夫婦が刺殺される事件が発生した。被害者は葛葉松栄さんと妻の楓さん。第一発見者は同居している長女であり…”地方紙とはいえ地元の殺人事件だというのに、とても小さな扱いだった。 「これはつまり…」 「つまり…?」 再び声に出して聞いてしまう私。というか紫苑さんも相志さんも無言で聞き続けるだけなので、せめて私が相槌を打たないといけないかな、と思いまして… 「ワケが分からないわ!」 腕を組みながら踏ん反り返るお露さん。大きな胸が更に強調されて迫力満点です。というか踏ん反り返るような内容じゃないと思うんですけど…  しかし紫苑さんはいつも通り穏やかに、そして丁寧にお礼を述べていました。 「ありがとう御座いました。小鳥遊さん」 そう言って軽く頭を下げる紫苑さん。 「ごめんなさいね、お役に立てなくて」 申し訳無さそうなお露さんの声。 「いえ…おかげで疑問が一つ解けました」  その時の紫苑さんの表情が。  ほんの少しだけ。悲しそうに見えた気がして。  私はそれ以上何も聞くことが出来ませんでした。
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