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通学途中の彼女を見かけた時から、僕の運命は加速を始めたんだ。
他の女性達とは違う『私って可愛いでしょ』オーラを放たない控えめな女の子。優しそうで、真面目そうで――従順で誠実そうで。
いいなぁ…と見惚れていると、彼女は僕に挨拶をしてくれたんだ!彼女の方から!しかも笑顔で!「おはようございます」って!
全身を貫く電撃。初めての感覚だった。これって…僕の事を好きって事なんだ!
これは運命だ。今まで真面目に頑張ってきた僕に対する、天からのご褒美だ。きっと僕が彼女をこれだけ愛しているのだから、彼女も僕をそれだけ愛してくれるんだ。
けど――どうしてこうなった?
ケチの付き始めは、彼女の友人だった。
交通安全ポスターの配布で訪れた彼女の高校。シチュエーションの種を蒔く絶好の機会。だが届けた手紙は彼女の友人に破り捨てられた。
穏便に済ませたかった僕は彼女の友人を尾行し、話し合いを試みた。けれど騒ぐばかりで建設的な話の出来ない様子に面食らってしまい、静かにさせようと必死に殴りつけていたら、いつの間にか彼女は地面に転がっており、整った顔は醜く膨れ上がり、潰れた蛙のように手足が痙攣していた。
柔らかかった。でも拳は痛かった。けど瑞雲さんとのイベントを邪魔したのだから、こうなって当然だ。
そして僕らが祝福されている確証を得られる出来事が起きた。
『娘がストーカー被害に遭っている』という父親からの電話を僕が受け取ったのだ。
ストーカー扱いされた事には腹が立ったが、でも僕の知らない瑞雲さんの事を知る事が出来る絶好の機会が訪れた。しかも公的に瑞雲さんとお近付きになれる。
これはもう『お前の嫁はこの娘だ』と神が示してくださったようなものじゃないか。
僕はここぞとばかりに家に上がり、瑞雲さんの部屋を調べると言って盗聴器や隠しカメラを仕掛けた。愛する子の全てを知りたいと思うのは当然の事だ。本当は下着なんかも確認したかったのだけれど、それはクライマックスの楽しみにとっておいた。
けれど、そこから先がなかなか進まなかった。
瑞雲さんは部屋から出ないし顔も見せてくれない。顔を出しても応じるのは住職である父親ばかり。
これではまるで意味が無い。僕達の愛は進展しないじゃないか。
しかもだ。僕の愛を証明する為に手紙に精液をかけて届け続けていたというのに、それを父親が邪魔していたという。彼女は僕を愛しているのだから、愛する男の精液なら喜ぶ筈なんじゃないのか?
何故親が邪魔をする?何故彼女は僕に会いに来ない?
僕は君からの愛を信じているからこんなに頑張っているのに――どうして君は応えてくれないの?僕はこんなに苦しんでいるというのに。
そうか――両親が嘘を吹き込んで邪魔をしている所為だ。
彼女の家は厳格なお寺だ。きっと「老後の面倒を見ろ。家を継げ」と厳しく育てられているのだろう。これは束縛する親が悪い。僕からの手紙を遮断したのもその所為だ。この親さえ居なくなればあの娘は今すぐにでも僕のモノなのに。
彼女の自由を奪っている父親は邪魔者だ。
そう思っていた矢先の事だった。
あの日はいつもの巡視中を父親に呼び止められ、本堂に通された。そこで告げられた言葉。
「ストーカは貴方ですね」
僕が将来を誓った彼女を見守っている。それだけの事なのに。そんな僕をストーカーと呼ぶのか?将来結ばれるその時まで、彼女を理解し、保護し、もっとお近付きになろうとしている。それだけなのに?
「何故うちの娘にこんな嫌がらせを続けるのですか?」
嫌がらせ――父親は更にそう言った。
僕が愛を伝えようと必死にもがくサマを、この男は嫌がらせと言ったのか?
瑞雲さんにこの気持ちが伝われば、彼女は僕を迎え入れてくれるのに。それなのにお前が邪魔をするのが悪いんだろうが。
瑞雲のパパといえ、それは許せない。許しちゃいけない。僕のプライドが許さない。
僕は、経を読む時に使われる大きなお鈴を片手で掴み、父親の頭に思い切り振り下ろしていた。
お鈴がくわぁんと鈍い音を立て、瑞雲さんのパパが倒れた。床にゆっくりと血溜まりが広がってゆく。それを間近で見ていた母親が悲鳴を上げ逃げ出そうとしたので、その後頭部めがけ、握っていたままのお鈴を投げ付けた。良い所に当たったのだろう。今度は鈍い音がして、倒れた母親はそのまま動かなくなった。
「何でアンタ達は僕の愛情を分からないんだよぉ!いつもいつも邪魔ばっかりしてさぁ!挙句にはストーカー扱いしやがってよぉ!」
床に転がる父親の脇腹を蹴り上げる。まだ胸が上下している。
周囲を見回すと、入口の脇に灯油のポリタンクが置いてあるのが目に入った。持ち上げてみると、まだ半分以上残っている。
「アンタ達が悪いんだからな?さっさと瑞雲さんを僕に寄越せば良かったのに」
母親と父親に灯油をかぶせる。特に父親には念入りに。足蹴にしてひっくり返し、正面からも灯油を浴びせた。
「これで瑞雲さんは僕のものだ」
けれどあの父親は火達磨になりながら、俺に向かって来た。
娘が大事なのは分かる。けれど僕は瑞雲さんの事を、親であるお前が愛さなかった部分まで愛してあげる事が出来るんだ。むしろ喜んで欲しいくらいなのに。
だが怪しまれないようにと到着した消防や警察の誘導をしていたら瑞雲さんを見失ってしまった。探しだして手元に置きたいのに、事情を知らない消防隊や警察は僕の邪魔をした。
「瑞雲さんを見ませんでしたか?」
「要救護者が居るんですか?」
消防隊員に声をかけたが、訳の分からない隊員は負傷者が居るものだと勘違いしていた。
「いえ、そうではなく――」
「消火活動の邪魔になるので下がっていて下さい!」
違う。そうじゃないんだ。彼女には両親の死体をじっくり観察して貰い、頼れるのは僕だけだという事実を充分理解させる必要があるのに。
なのに――瑞雲さんは何処に行った?
君を自由にするために、僕は君のご両親すら手にかけた。しかしそれでも君はまだ僕の腕からすり抜けるというのか。
いい加減にしろ。僕に愛されていると思って調子に乗るな。お前には僕にここまでさせた責任を取って貰わなければいけない――今すぐ償わせてやる。
家の中を隈なく探し回り、瑞雲さんが今日着ていたパジャマが脱ぎ捨てられているのは発見した。お出かけ用と思われる私服は減っていない。普段着でどこかへ出かけたという事か。
敷地の中も徹底的に探し回ったが、見当たらなかった。こんな大事な時に、何処へ行ったというのか。
本堂の火災はまだ消火しきっておらず、目下、消火活動中だ。根性で外に歩いて出てきた父親の死体は警察が検分中だ。早く瑞雲さんを見つけ出し、父親の死に様を見せつけた上でお仕置きしてあげないと。
――その時。
なむあみだぶつ
念仏が消防隊や警察官達の喧騒を貫いて耳に届いた。
背筋にぞわりとするものを感じ、思わず顔を上げて辺りを見回す。
すると僕だけではない、他の消防隊や警察達も辺りを見回していた。なら、これは幻聴の類では無いのか。
いや、しかし――なら一体何処から。誰が。
なむあみだぶつ
まただ。また念仏が聞こえた。しかもこの声は――まさか。
振り返り、瑞雲さんの父親だった黒焦げ死体が倒れている場所を見る。
僕に蹴り飛ばされて蹲りながら息絶えた瑞雲さんの父親が。
眼球は溶け落ちて舌も炭化した、全身黒コゲの姿で。
そこに立っていた。
死体とその周囲を調べていた警察官達は腰を抜かしながら、立ち上がった死体から目が離せないでいる。
死体が立ち上がる訳が無い。なら、瑞雲さんの父親はあんな姿になっても生きているという事なのか。そうでなければ立ち上がれる訳が無い。念仏など唱えられる訳が無い。というかそもそも――生きていられる訳が無いのに。
黒コゲになった瑞雲さんの父親が、その両手をゆっくりと持ち上げた。炭化した皮膚がその足元にボロボロと崩れ落ち、そこから真っ赤な――まるで炭が激しく燃えているような赤く光る身体の芯が現れた。その瞬間、立ち上がった死体から激しい熱気が吹き上がった。
死体が立ち上がった事に驚き逃げ出した警官たちが更に距離を取る。
死体は胸の前で手を合わせ合掌すると――
なむあみだぶなむあみだぶなむあみだぶ――
先程よりも朗々とした声で念仏を唱え始めた。そして。
砂利を摺って歩くように、ゆっくりと歩き始めた。
そんな馬鹿な。確かに死んだ筈だ。一歩踏み出した時点で、膝から下の骨は崩れている。間違いなく死んでいる。
――なむあみだぶなむあみだぶ
だったら何で立ち上がり、念仏を唱えて。炭化した足を崩れ落としながら、それでも這いずるようにして。
――なむあみだぶなむあみだぶ
それでも残った大腿骨で歩き、それさえも外れると今度は合掌していた両手で這いずりながら。俺の方へ一直線に向かって来るんだ。
――なむあみだぶなむあみだぶ
遂に上半身だけとなった死体の腕が、僕の足首を捉えた。まるで焼かれているように熱い。
人間とは――死体とは思えない物凄い力が足首を締め上げる。
――なむあみだぶなむあみだぶ
「誰かこいつを外してくれよ!まだ生きてるっ!殺したはずなのにまだ生きてるよぉ!」
言葉にならない悲鳴をあげながら、周りの警察官や消防隊員に助けを求めるが、誰一人として僕を助けようと近付く人は居なかった。皆遠巻きに僕を見ているだけだった。
――なむあみだぶなむあみだぶ
「ごめんなさい!殺してしまってごめんなさい!火を点けてごめんなさい!迷惑かけてごめんなさい!だから許してよぉっ!!」
ありったけの声で謝った。謝ったんだから許してよ。だから――殺さないで。
――南無阿弥陀仏
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