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プロローグ
或る日、何もかもが反転して見えることに
狼狽えた‥。
今まで気がつかない私も私だけど
隣に居る男は、名うての嘘つきだと判明す。
私の掛けていた眼鏡は長い間、曇っていたらしく
時々外したり、
レンズを拭いたりしていたならば、
その男の誠意の度合いが測れたはずだ。
考えれば考えるほど、割に合わない思いが募り、
沸点に達するように頭に血が集まり、
妙な汗が噴き出してきて
そのくせ、気分はぐったりと萎える日々。
アラフォーからのアラフィフに差し掛かる途上で、
こんなにも途方に暮れているなんて‥。
「‥私どうすればいいのタックン‥ねぇ聞いてちょうだい」
そう言いながら1人っきりの午後、今日もリビングの
飾り棚でポーズを取る、
オブジェ「龍のタックン』を優しく、それでいて
やや圧を感じてほしいと
撫で撫でしながら愚痴をこぼす時間が
平凡な主婦、弓子の今の救いだ。
龍は、干支で唯一、架空の存在の『辰』ということからタックンと名付けた。
タックンとは大型リサイクルショップで出会い、
我が家にどうぞとお迎えした頃、それはもう恭しく
龍神様の扱いをさせて頂いていた。
ガラス越しに眺めるだけで、
まさかタメ口なんてきけなかったし、
今みたいに馴れ馴れしく、身体に触れるなんて
とても畏れ多くて出来なかった。
それぐらい、威厳のある風情を醸し出す彼だから
惚れて3000円支払ったのだった。
鋼の身体と、ゴジラのような鋭い眼光と、
数えきれない鱗と、2本の長い髭の華麗なる融合。
『今から豪速球投げてやろうか?』と言いたげに
角度をつけた右手には鋭い3本の爪が生えてて、
胴体は3の字にくねらせ、独特のポーズを決めるタックン。
たぶんタックンは龍の仲間達の中に入れば、
若いほうだと思う‥見た目から察するに
1300歳ぐらいじゃなかろうか?
つい、細マッチョでしなやかな体に触れてみたくなって、触れてみたら冷たかった‥。
だって鋳物ですものね。
それからは物言わぬ彼に、
「あ、喉渇きますよねっ?お水をどうぞ〜」
「たまにはお身体お拭きしましょうね」
「‥失礼を承知で‥タイプかも。」と私やっぱり、
尽くすタイプだ。
こうして
愛への渇きと、心満たされないもどかしさに
耐えかねた孤独な主婦、弓子は
硬質でクールで寡黙な
『辰のタックン』と少しずつ、距離を
縮めていきました。
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