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新たな旅立ち
早朝の緑の丘。
空は徐々に白んできたが、まだ太陽は顔を出していない。
西の方では微かに星が瞬いている。
「あの谷を越えれば、当分気温は安定するさね。ここ数十年ぽっちのデータだけれどね」
二足歩行の赤ん坊が、谷の向こうの山を指さして言った。
柔らかそうなピンクの頬っぺたと、愛くるしいつぶらな瞳。髪はまだ生え揃っていない。
薄桃色のつなぎに身を包み、手には糸のほつれたボロボロのテディベアを持っている。
赤ん坊のすぐ後ろには、一組の男女が立っている。どちらも二十歳に満たない、どこか幼さが残った顔立ちをしている。
「ここまでありがとう。気をつけて戻るんだよ」
男はそう言い、道を指し示す赤ん坊の頭を優しく撫でた。
赤ん坊は少し不機嫌な表情を見せた。
男の名前はフィグ。
山吹色の髪に、緑の瞳。長めの前髪は横へと掻き上げられている。
白い長そでのワイシャツに深いえんじ色のベスト。その襟元には白のアスコットタイ。そして黒の長ズボン。
大きく変化しないその表情は、冷静で落ち着いた印象を与えるが、その瞳は無気力な雰囲気も若干漂わせてしまっている。
「問題ないさね。久々に話せて楽しかったからね」
赤ん坊は仏頂面でそう言った。
「アタシ達もとっても楽しかった。またいつかここに来るね」
フィグの隣に立つ少女が弾むような明るい声で言った。
名前はプラム。
銀色に輝くポニーテールの毛先には、ほんのりと紫色が混じっている。
瞳は澄んだ青色で、引き込まれそうな深みを持っている。
瞳の色と同じ、青色を基調とした上着は、大きめでサイズが合っていないように見え、簡素なショートパンツからは華奢な素足が伸びている。
フィグとプラムはもう長いこと旅をしている。
だが、この荒れ果てた世界を歩き渡るには、二人は余りにも軽装であり、旅人らしい荷物もなかった。
二人の持ち物は、薄い紙ぺらで出来た地図と、刃こぼれしている短剣ぐらいで、いずれもフィグが所持していた。
活発な仕草でにかりと笑った手ぶらのプラムは、膝を地面に付き、赤ん坊を抱きしめた。
「子供扱いしてもらっちゃ困るよ」
尚も不機嫌にそう言って、赤ん坊はプラムの胸を突っぱねる。
「子供扱いなんてしてないよ! ただ愛でてただけ」
拒否をされながらも赤ん坊を抱きしめることをやめないプラム。
赤ん坊は突き出した腕を引っ込めようとはせず、依然プラムを遠ざけたままの距離を維持する。
「プラム。もうその辺にしてあげよう。それに、僕達は先に進まなきゃ」
プラムの頭に軽く手を置き、フィグは遠くの谷を見つめてそう言った。
プラムは嬉しそうに笑みを浮かべ、大きく頷く。
「そうだね。急がないと、アタシ達以外の人間がみんな絶滅しちゃうかもしれないしね」
そう言って立ち上がったプラムに対し、赤ん坊は嵐が去ったかのような安堵の表情を見せた。
だが、次の瞬間には憐れむような目でフィグとプラムを見上げていた。
「そんなに急いだって、何の意味もないさね。もうこの世界のどこを探したって、人間なんかいやしないんだから」
諭すようにそう言って、赤ん坊はため息を吐く。
プラムは目を瞬かせ、首を傾げながらフィグに視線を向けた。
「それを僕らは確かめに行くんだ。それに、ブルーファンタジアの花園に、きっと希望がある」
プラムの視線を受けたフィグは、感情の乏しい表情で赤ん坊に言う。
赤ん坊は何も言わずにただフィグとプラムを見つめた。
そしてしばらくして、諦めたかのようにため息を吐いた。
「じゃあね、お二人さん。またいつか」
別れを惜しむ様子もなく、赤ん坊は小さく手を振った。
「うん。世話になったよ。ありがとう」
「ばいばい、ミイサ。また今度ね」
フィグもプラムも手を振った。
ミイサと呼ばれた赤ん坊は、二人に背を向け元来た道を引き返していく。
山の向こう側から、徐々に太陽が昇り始めた。
辺りは途端に強い光に満たされ、野原が金色に輝き出す。
夜が完全に明けたのだ。
二人はしばらくミイサの小さな背中を見守って、彼女とは逆方向に歩を進めた。
遠目からでも分かるほどに険しい谷へと二人は向かっていく。
「さっきの赤ちゃん、知り合い?」
不意に、プラムはフィグにそう尋ねた。
「うん、まあね。どこか雨風が凌げる所に着いたら、昨日までのことを教えてあげる」
フィグはそう言って微笑み、隣を歩くプラムの手を握った。
全ての答えが存在する、ブルーファンタジアの花園を目指して、二人は新たな旅に出る。
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