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【純ロボ】
谷を超えるために歩を進めていたフィグとプラムは、その途中に岩で出来た小さな洞穴を見つけた。
周りは木々で囲まれており、二人の身長を遥かに超える色とりどりのキノコが生えている。模様も様々だ。
まだ時刻は昼頃で、雨の気配も特にないが、二人は洞穴の中へと足を運び、腰を下ろした。
「あの赤ちゃん、名前は何て言うの?」
プラムはブーツの紐を緩めてフィグに言った。
「ミイサだよ」
「へえ。何歳なの?」
「正確な製造日は分からないけど、モデルは0歳だってさ」
「純ロボ?」
「そう。彼女は根っからのロボットさ」
フィグが落ち着いた様子でそう返した。
彼の表情はいつも淡々としている。
あまり代わり映えせず、面白味に欠けるが、そんな彼にプラムが文句を言ったことは一度も無い。
「ミイサの街も、もう人間はいなかったよ」
フィグは続ける。
「僕たちは三日ほど、ミイサの世話になったんだ」
「そっか。しっかり者の赤ちゃんだね」
「ああ。もう誰も彼女に赤ん坊らしい振舞いを期待してはいないからね」
そこまで言って、フィグは一旦口を噤んだ。
プラムは洞穴の外を眺めながら、短く息を吐き出す。
こうして昨日までのことを振り返るのは二人の日課だ。
だがそれは、単なる思い出話とは訳が違う。
話を披露するのはいつだって、フィグひとりの役目であった。
「ミイサは、何のために?」
プラムは、一日分の記憶さえも保つことができない、特異な体質であったのだ。
「人間だった本物のミイサは、事故で死んでしまったんだって。大昔の、エスカレーターっていう昇降装置。聞いたことがあるだろう? 旧式のベビーカーにミイサを乗せたまま、彼女の両親はそれを使用したんだ」
ある年齢から、プラムの記憶は一日ごとにリセットされてしまうようになった。
日が昇った瞬間、彼女の前日の記憶は消滅し、振りだしへと戻ってしまうのだ。
極まれに、空が白んできてから徐々に記憶を失う場合もあるが、いずれにせよ、前の日の記憶は持ち越せない。
「車輪が傾いてバランスを崩したんだ。ベビーカーは落下。打ちどころも悪かったらしい」
「それでミイサが作られたのね」
だが、忘れてしまった記憶が、ふと蘇ることもある。それは、非常にまれなケースだ。
思い出したことさえも、次の日には忘れてしまうのだが、それを悲観する術すらプラムにはない。
「ミイサから教えてもらったんだけど、今から行く谷を越えれば、しばらく気温が安定するらしいよ」
「今でも大分過ごしやすいけど?」
「今に雪が降ったり日照りになったりするよ」
「ええ!?」
プラムは見開いた目で洞穴の外を見た。
すると、明るく太陽の光が差し込んでいた洞穴の入口が、途端に陰りだしたのだ。
冷たい風が強く吹き込んできた。
「なら急がなきゃ! フィグ、後は何かある?」
慌てた様子でプラムは立ち上がり、まだ腰を落ち着けているフィグに迫る。
ぽっかりと空いた空白の時間は自覚できるようで、プラムは自分が記憶を失っている事実には気が付いている。
「うーん……。まあ、これぐらいでも困らないかな」
フィグはそう言って立ち上がる。
ズボンのポケットから茶色く変色した四つ折りの地図を取り出した。
地図を開くと、文字や地形が見る見るうちに滲んでいき、一塊になっていく。
一か所に集まった墨は、次は紙の隅々に散らばり、初めとは全く別の地形を作り出した。その地形の図は不完全で、谷の先は所々虫食いになっている。
「次に行きたい場所まで、少し遠回りになるなあ。でも、谷を早く超えた方が賢明か」
フィグは独り言を呟く。
プラムは怪訝な表情のままフィグを見つめた。
「よし、行こうか」
地図を仕舞い、プラムの手を握ったフィグ。
プラムは微笑んで大きく頷いた。
洞穴を出た二人。
太陽の光が暖かく降り注いでいる。しかし反対に、肌を吹き付ける風は痛みを感じるほどに冷たい。
巨大なキノコの笠で出来たアーチの中を、フィグとプラムは谷を目指して進んでいった。
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