並べ師

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警察が下着ドロボーから押収した下着が、ブルーシートの上に秩序正しく並べられている光景を、皆さんも一度はテレビでご覧になったことがあるでしょう。 あまり知られていませんが、警察には並べる仕事を専門に担うプロがいます。有識者は彼らのことを「並べ師」と呼んでいます。 並べ師の仕事は、押収したものを何でも美しく並べることです。もちろん下着だけではありません。拳銃、自動車のタイヤやナンバープレート、自転車のサドル、高校の野球部の部室から盗まれた野球ボールなど、ありとあらゆる押収品を並べます。 並木さんも警視庁で働く並べ師の一人。それも全国で指折りの並べ師で、各地の道府県警から「ぜひ並木さんに並べて欲しい」と依頼が来るほどの逸材です。美大で培ったセンスを発揮し、下着はグラデーションで並べ、野球ボールはピラミッドのように美しく積み上げるからです。 今日は沖縄でご当地ナンバープレートを並べ、明日は北海道でタイヤのホイールを並べます。並木さんは押収品を並べるため、毎日のように全国各地を飛び回っていました。 しかし指折りの並べ師といっても、警察内での地位は高くありませんし、給料は少ない方です。しかも、並木さんは並べるのが好きなわけでもないのです。むしろ仕事に退屈を感じてすらいました。それでも、並木さんにはこの仕事に精を出す理由があるのです。 10年前。並べ師の仕事を始める前のことです。並木さんは小さなアニメスタジオに勤めていました。残業や徹夜も多くて疲れる仕事ですが、この日は自宅で眠ることができました。 しかし翌朝、通勤のためにアパートの自転車置き場へ向かうと、並木さんの自転車のサドルが盗まれているではありませんか。その上、並木さんを嘲笑うかのように、サドルを差し込む部分にブロッコリーが刺さっていました。 並木さんはブロッコリーが刺さった自転車を押して、すぐさま近くの警察署へ出向いて言いました。 「おはようございます。朝からすみませんが、私の自転車のサドルが盗まれてしまいまして……」 「それは大変でしたね。自転車を少し見ても良いですか?」 警察官は自転車に突き刺さったブロッコリーを見て吹き出しました。 「ブロッコリー……なかなかユニークな犯人ですね」 警察官も悪気はないのでしょうけれど、どうしても顔がにやけるのを止められないようでした。被害届を書くように並木さんに言いましたが、声は笑いを含んでいます。 被害届を書きながら、並木さんは思いました。バカにされている、と。 「自転車のサドルが盗まれる事件はときどき起こるんですけど、近くに防犯カメラが無いと、犯人の特定は難しいです。戻ってくる確率は、かなり低いと思いますよ」 警察官の発言には、「たかがサドル1つくらいで」というニュアンスが含まれている。並木さんはそう感じました。 盗られたことがない人にとっては、「たかがサドル1つくらい」かもしれません。しかし、自転車にはサドルがどうしても必要です。そもそも、泥棒が悪いのに被害者が泣き寝入りしなければならない世の中なんて、間違っています。 だったら自力で取り返してやる。 サドルへの愛着と犯人を憎む気持ちが、並木さんを並べ師の道へと駆り立てたのです。 並木さんは警視庁への転職面接を受け、見事採用されました。サドルを盗まれた犯人の憎さや、同じように盗難の被害を受けた人への熱い想いが、面接官に響いたのでしょう。 さらにラッキーなことに、並木さんは美大出身の経歴を買われ、並べ師に大抜擢されます。並べ師には芸術的なセンスが必要なため、美大出身者は歓迎されました。 並べ師に抜擢されたのは、並木さんにとっても大きなチャンスでした。押収品を1つ1つ目で見て確認することができ、自分のサドルが押収されていないか調べることができるからです。 こうして並べ師になった並木さんは、淡々と仕事をこなしていきます。来る日も来る日も求めに従いながら、抜群のセンスを発揮して大量の押収品を並べました。 女性の下着はトランプの神経衰弱のように上下のセットを探し出し、組み合わせて並べていきます。タイヤのホイールも、ただ置くだけではありません。マスコミが映像を撮りやすいよう、積んだり立てかけたりして映える並べを披露しました。 仕事を続けるうちに、「警視庁の並べ師に凄いのがいる」と警察内部で噂されるようになりました。かくして並木さんは全国各地から要請を受け、現場に駆けつける日本一の並べ師になったのです。 しかし、なかなか例のサドル泥棒が逮捕されず、並べ師になって10年の月日が経とうとしていました。 朝。並木さんは、サドルの無い自転車を立ち漕ぎして警視庁に出勤しています。 並木さんにとって、盗まれたサドルに替わるサドルは存在しません。サドルが戻ってきてくれることを信じ、サドルが無いまま自転車を使い続けているのです。また、それは並木さんが自分の仕事を信じているからでもありました。 「おはようございます」 「遅いぞ並木!」 出勤すると、いきなり課長の鋭い声が飛んできました。普段はこんなことは言わない、温厚な人なのですが。並木さんは反射で、すみませんと言いました。 「何ぼんやりしてるんだ!管轄でサドル泥棒が捕まったぞ!」 課長の声が、並木さんの頭の中でゆっくりとリフレインします。サドル泥棒が捕まったぞ、捕まったぞ、捕まったぞ……。 「倉庫から6000個もサドルが出てきたらしい。今日の並べは大仕事になるぞ。早く行って並べて来い!」 6000個もあるなら、10年前に別れたサドルもあるのではないか。サドルとの再会を想像すると、並木さんの脳は熱くなりました。口から飛び出しそうなほど高く跳ねる心臓を押さえ、踵を返して現場へ向かいました。 警視庁の近くの体育館へ、次々にサドルが運び込まれてきます。6000個もあるのです、運んでも運んでも終わりが見えません。 6000個のサドルを並べるプランはこうです。手前から奥に向かってサイズが大から小へと滑らかに変わること。さらに左から右に行くにつれて黒、茶色、ベージュ、白と色がグラデーションになること。 並木さんは血走った目でサドルの1つ1つを確認していきます。プランどおりに並べるには、このサドルはどこに配置するべきなのか。そして、10年前に別れたサドルは混ざっているのか。 こうして並べ終わると、6000個のサドルは1つの芸術作品でした。あまりにも美しいグラデーションで整列したサドルは、サッカー選手がゴールを決めたときの観客のウェーブのようです。大作を完成させた並木さんを、6000個のサドルが祝福しています。 盗難事件については、マスコミも大きく報じました。放送された並べの美しさにSNSも騒然となり、「警察は変態か」と大騒ぎになったのです。 この日は、並木さんにとって記念すべき日になりました。ネットで話題になったからではありません。10年前に別れたサドルと再会できたからです。 並木さんは黙って直帰しました。並べ終わったと課長に報告することもなく、自転車のカゴにサドルを入れて自宅に向かったのです。 クビで構わない。そんな気分でした。もともと並べ師の仕事に愛着があったわけではありません。盗まれたサドルを見つけたとき、並木さんの仕事は終わりました。 アパートの前に自転車を停め、サドルを持って階段を登ります。鍵を開け、電気をつけ、靴は履いたまま部屋に上がりました。靴を脱ぐ時間さえ惜しく感じられたからです。 並木さんは文具を入れた引き出しからカッターを取り出すと、刃を3ミリほど出しました。再会したばかりの愛おしいサドルはテーブルの上に置き、柔らかい革の部分を撫でてみました。 並木さんはカッターの刃をサドルの革に這わせて少し動かしました。革の裂け目は、長い眠りから覚めたばかりの悪魔の目です。 刃を一周させると革が外れ、サドルの中にビニール袋が入っているのが見えました。袋の中には、白い粉が詰まっています。
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