1人が本棚に入れています
本棚に追加
第一章 乗り越える旅路へ(前編)
「うわぁ〜! 見て見てヨウちゃん! すごいよ! お星様がいっぱいだよ!」
目の前を走る妹が、いつもより無邪気に、楽しそうに笑っている。もともとよく笑う妹ではあるけれど、今日は特別、薄暗い夜の草原でも輝くほど眩しい笑顔を浮かべていた。
「待ってよ葉月」
10歳の僕が持つには少し大きな星座早見盤を持って、妹——葉月を追いかける。僕は確かに葉月の兄なのだが、一度も「お兄ちゃん」と呼ばれたことがない。2歳しか離れていない妹は、気がついたら僕のことを「ヨウちゃん」と呼ぶようになっていた。僕の名前である「葉介」からとって「ヨウちゃん」なのはわかるのだが、どうにも人前で呼ばれると恥ずかしい。とはいえ、今日は家族以外誰もいない場所。そこまでの恥ずかしさはなかった。
「ほらほらヨウちゃんヨウちゃんヨウちゃん! あれ! あれ何座!? ほらヨウちゃん早く! ヨウちゃん!」
……前言撤回。さすがに何度も呼ばれると恥ずかしい。
葉月を黙らせる意味合いも込めて、星座早見盤で軽く葉月の頭を叩く。
「いたい!」
わざとらしくリアクションして見せる葉月。そんなに力を入れていないのだから、わざわざ口にするほど痛いはずはない。だが、葉月は拗ねた顔を作り、後ろにいるお父さんとお母さんに声をかける。
「パパー! ママー! ヨウちゃんがぶったー!」
言い訳をしようと、慌ててお父さんとお母さんの方を向く。
車の横に立ち、優しく僕らを見つめていたお父さんとお母さん。だが、暗闇のせいか顔に影がかかっている。影はテレビのサンドノイズのように明滅し、お父さんとお母さんの顔を覆っている。
突然、視界がぐらりと揺れた。
僕らは、帰りの車の中にいた。運転席にお父さん。助手席に僕。僕の後ろに葉月。お父さんの後ろにお母さん、という並びで座っている。
僕も葉月も、時間のせいかウトウトし始めていた。そんな帰り道。
何の前触れもなく、車が揺れた。いや、車ではない。地面が、車を丸ごと揺らしていたのだ。怖さを感じる間もなく、車が大きく傾く。舗装された道を外れ、木々の間を、時に木をへし折りながら落下していく。車が揺れて、回り、ぶつかる。
パニックで何もできないでいると、お父さんは僕を、お母さんは葉月を強く抱きしめた。座ったままでは手が届かなかったので、二人ともシートベルトを外したのだろう。
強く抱きしめられ、不安も相待って硬く目を瞑る。
「葉介……!」
その時のお父さんの声は、今でもしっかり耳に残っている。
なぜなら、それが僕の聞いた、お父さんの最後の言葉だからだ。
最初のコメントを投稿しよう!