それはかつての残像

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それはかつての残像

「なー瑠樹ぃ、最近どうしたんだよ?」  蓮は咥えたストローでずるずると紙パックのオレンジジュースを啜りながら、不満を隠そうともしない表情で俺にそう言った。 「別に……どうもしねぇけど?」  昼休みの教室、その一角。俺の席で昼飯を食べていた俺と蓮の間には、ずっと微妙な空気が流れていた。  それをようやく打開する先程の蓮の言葉。誤魔化すように答えたが、蓮が何を言いたいのか分かっていた。  紙パックを机に置き、蓮の頰が拗ねたように膨らむ。 「最近付き合い悪ィじゃん。授業にも出てるみたいだし」 「……何回か気紛れに出てるだけだ」  俺が授業に出ている目的を知ったら、蓮は何と言うのだろうか。  風見を見る為だけに化学の授業に出ているなんて。他に出ている数学だの現国だのの授業は、風見目当てだと周りにバレない為のカモフラージュだ。  結局俺は、風見に抱いている感情を抑える事が出来ないまま、教室の一番後ろから授業を行うアイツを眺めることをやめられないでいる。 「なんだよー瑠樹も真面目ちゃんになっちゃったのかよー!?」 「そういう訳じゃねぇけど……」  蓮は不服げにがたがたと椅子を鳴らして暴れている。  確かに、ここ最近蓮と遊びに出る頻度が減っていた。俺がいなければつまらないと唇を尖らせる蓮に、つい俺の頰も緩む。 「分かったよ、今日はお前に付き合ってやるから。ゲーセンでもバッティングセンターでも、どこでも一緒に行ってやるよ」  ぽんぽん、と軽く頭を撫でてやりながらそう言うと、蓮の童顔がぱっと明るい笑顔になる。 「ほんとか!?」 「おう、行くぞ」  昼飯の残骸を手早く片付け立ち上がる。机の横のフックに引っ掛けていたバッグを手にして廊下に出ると、間の悪いことにちょうど風見が通りがかるところだった。 「一条?もう昼休み終わるぞ」 「あー……そう、だな」  スクールバッグを持った俺に首を傾げる風見。見るからに帰り支度なのだ、当然だろう。  今日の五限は化学だ。忘れるはずもなくしっかり覚えていたし、授業にも出るつもりだった。けれど今日は、蓮を優先したい。  言い淀む俺を、風見はじっと見ている。 「瑠樹?」  背後から、俺に追いついた蓮の声がする。 「げ、風見じゃん」 「げっとはなんだ、先生に向かって」  苦笑する風見。俺が言葉を発する前に、蓮が俺の首に腕を絡めて抱きついてきた。 「今日は渡さねぇぞ!瑠樹は俺と遊びに行くんだ!」 「おい蓮……」  風見に対して何故か敵意剥き出しの蓮。諌めようとするが、蓮は今にも風見に噛みついてしまいそうだ。  落ち着け、と蓮の背中に手をやる。まるでおもちゃを取られまいとする子供のような蓮に、しかし風見は朗らかに笑いかけた。 「誰も一条を取り上げたりしないよ。お前らが仲良いの知ってるしな。……一条は最近頑張ってたし、たまには息抜きしてきてもいいんじゃないか?」 「……え」  風見の言葉に、蓮と二人してきょとりと瞳を丸める。風見が口にしたのは、教師らしからぬ発言で。  戸惑っていると、風見が突然手にしていた出席簿で両目を覆った。 「あー今なら誰がどこに遊びにいこうと先生何も見えないから怒れないなー?」 「うお、えと、行くぞっ瑠樹!」 「お、おう」  先に動き出したのは蓮だった。俺の手を引いて走り出す。  俺は連れられるまま同じように走り出すが、すぐに後ろを振り返ってしまう。  風見は、走り去る俺たちを見て笑っていた。なにか、ひどく眩しそうなものを見るような顔で。振り返った俺に気づくと、ひらひらと出席簿を振る。いってらっしゃいと、言っているみたいだ。  風見がどうして俺たちを見逃したのかは分からない。けれど、その眩しそうな笑顔に、俺の胸はぎゅっと締めつけられるような感覚に支配されていた。 ****  最近の俺といえば、気紛れに授業に出たり、授業をサボって蓮と遊びに出たり。蓮を淋しがらせず、かつ風見とは間を開けず会えるように、良いバランスを保って日々を過ごしていた。  今も六限の化学の授業を、ぼんやりと風見を眺めながら受けているところだ。  風見は相変わらず、くるくるとよく変わる表情で楽しそうに授業をする。自分の発言や知識で生徒たちが笑ったり感心したりするのが、何より楽しいみたいだ。  じっと風見の表情や仕種を見つめていると、五十分はあっという間だ。終業のチャイムが鳴る。 「かざみーん!」  授業が終わった後に女子生徒に囲まれるのも、化学の後のいつもの風景で。  けれど、今日はいつもと違う事が起こる。  さて、ホームルームは面倒だし帰るか、と立ち上がった俺に、「一条!」と呼ぶ声がした。  どきりと心臓が跳ねる。だって、俺を呼ぶ声の主は。 「一条、ちょっと来てくれ」  教室の一番後ろまでよく響く、穏やかな声。  もう聞き慣れた、けれどその声が俺を呼ぶ度にこの心臓は締めつけられる。  教壇の方を見ると、風見が笑顔で俺を手招いていた。 「……何か用かよ」  俺が風見に近寄ると、同時に群がっていた女子生徒たちが離れていく。そんなに俺が怖いか。  少しむっとしながら風見に言うと、風見は小さく笑みを零した。 「まぁそうむくれるな、叱ろうってんじゃないから。はいこれ」  そう言って渡されたのは、二つ折りにされたルーズリーフ。中を開こうとすると、風見の大きな手がそれを制止した。  手の温もりが触れて、またどきりとする。 「後で一人で見てくれ。いいな?」 「っ……」  低まった、ひっそりと潜められた声。内緒話のようなその声のトーンに、俺の心臓が暴れ出す。  何事も無いように声を出すことが出来なくて、ただこくりと頷く。頰が熱い気がして顔を上げることが出来ない俺の頭を、風見の手がくしゃりと撫でていく。 「んじゃ、みんなお疲れー」 「あっかざみん待ってよ!」  去っていく風見の声、追いかけていく女子生徒の足音。足元を見たままの俺の周りを、音だけが過ぎ去っていった。
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