春煌めけ

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春煌めけ

 ざわざわと、朝の教室は騒がしい。それはどこの教室も同じだ。  俺は朝一で蓮にCDを貸してもらう約束をしていて、待ち伏せしてやろうと今は隣の教室で『三木蓮』と書いてある椅子に座っていた。  後ろ脚だけでバランスを取って椅子を揺らす俺を、真面目な生徒たちは遠巻きにしている。一部の奴らは気にせず話しかけて来るし、その中には少ないが友人だっている。そいつらが、俺のことを分かってくれていればいい。俺が好いた奴らだけ、俺を好いてくれればいいのだ。 「おっ瑠樹!」 「おー蓮、はよ」  教室の後ろ扉で一際賑やかな声を上げるのは、俺の親友である蓮だ。  白いシャツのボタンを三つほど開け、覗く素肌の上で幾重にも付けられたチェーンネックレスががちゃがちゃと揺れている。短い銀髪をいつも目立たせて、どこにいても見つけやすい奴だ。 「今日は早いのなー。ほい約束の」 「さんきゅ。たまたま目が覚めたんだよ」  無造作に渡されたCDを中身がすかすかのスクールバッグに突っ込んで、俺たちはいつものように立ち上がる。  朝教室にいるからと言って、無論そのまま授業を受けることなんてほとんど無い。  学校なんて分かりやすい待ち合わせ場所に過ぎないのだ。 「今日はどこ行くー?」  同じようにぺらぺらのスクールバッグを背負うように担いだ蓮が、並んで歩きながら俺の顔を覗き込んでくる。ちけぇ、とその顔を避けながら考えて応える。 「そうだな……ゲーセンも飽きたしな」 「ゲーセンに飽きたなら楽しい楽しい化学の授業はどうだー?」 「った!!」 「いってぇ!!」  バシン、バシンと続けて二つ派手な音がする。  俺と蓮はその音と共に頭を押さえて悲鳴を上げる。ずきずきと痛む頭を掌で押さえながら後ろを振り返ると、そこには笑顔の風見がいた。 「てめぇ風見!」 「もう授業始まるぞー、三木。一条は現国な。教室戻れー」  涙目で食ってかかろうとする蓮を軽くスルーし、俺たちの頭に激痛を与えた出席簿で片手を叩く。 「サボってばっかじゃ後々苦労するのはお前らだぞ。たまには授業出とけ」  諭すような言葉。今まで何度も聞いた言葉だ。  俺と蓮は一瞬顔を見合わせて、それから同時に風見に向かって舌を出してやった。蓮なんて見事なあっかんべーだ。 「そんなの決めるのは俺たちだろ」 「じゃーな風見!」  俺たちは踵を返し風見に背を向けて駆け出す。二人でしてやったりと笑い合う俺たちを風見は追いかけてくるかと思ったが、声すらかけてこなかった。案外諦めの良い奴なのかもしれない。  俺は何故か後ろ髪を引かれるようにちらりと風見を見る。風見は俺たちを眩しそうに見ていて、その表情に何故か心臓がどきりと妙な音を立てた。 ****  とても、面倒な事になった。  今俺を囲むのは最近よく小競り合いになっていた他校の奴らで、その数は十……いや、十五は超えてるか。みんな着崩した制服に脱色した髪。所謂、同族だ。  その内の一人が俺に近づきながら、言葉を発した。 「よう、一条。この前は随分世話になったなァ」  街が夕暮れに沈もうとする時間。そろそろ帰るかと繁華街をぶらついていた俺と蓮が一瞬離れたその隙に、人気の無い路地に連れ込まれた。この数だと一人で相手出来ない事も無いが、少し骨が折れるだろう。 「あー……そうだったか?お前みたいな汚ェ面、見覚えねぇけど」 「てめぇっ……!!」  汚い金髪を刈り上げた男がかっと表情を歪め腕を振りかぶる。見るからに愚鈍そうな拳を、ひょいと後ろに一歩下がって避ける。  空振った男はそのままバランスを崩し、地べたに這いつくばる事になった。 「俺と喧嘩すんなら、この数でも足りねーんじゃねぇの」  にや、と挑発的に口角を吊り上げてやる。そうすれば刈り上げの男は顔を真っ赤にして俺に食ってかかろうと慌てて立ち上がった。 「一条てめぇっ!舐めた口きいてんじゃねぇぞ!!」 「っと」  男は先程の空振りで学習したのか、周りの奴らに目配せをする。口元に不気味な笑みを浮かべた男たちは抵抗しない俺を後ろから羽交い締めにし、刈り上げの男に突き出す。  男はにたりと笑って、再び拳を振り上げた。  まぁ、一発ぐらい殴られてやるか。それからまずこいつを殴り返して──。 「ちょーっと待とうか!」  ひらり、俺の眼前を白い布が舞う。  俺たちの間に飛び込んできたのは長身の人影だった。俺に背を向けて立つのは、白衣を着た明るい茶髪の男で。  刈り上げの拳を大きな手で包み込み制止した男は、振り向いて俺に軽く笑って見せる。 「か、風見……?」  なんでこいつが、こんな所に。  風見を見上げる俺は、きっと間抜けな顔をしていたと思う。  刈り上げは暫く固まった後、やっと事態が呑み込めたのか声を張り上げた。 「なんだてめぇ!邪魔すんじゃねぇよ!」 「いやー、それがそうもいかないんだよ」 「っ……!?」  止められた拳を再度振おうと力が込められるが、風見は包み込んだ拳を離そうとしない。刈り上げの表情が強張る。 「こいつ、うちの生徒だからさ。先生は生徒を守るもんだろ?」  風見はからりと明るい声でそう言う。俺は背後に立っているので見えないが、きっとあの人懐っこい笑みを浮かべているのだろう。 「きょ、教師が口出してきてんじゃねーよ!!」 「あー、ったく。……うるせぇなぁ」  不意に、風見の声がワントーン落ちた。それと同時、刈り上げの男がどしゃりと地面に崩れ落ちた。  周りの空気が変わる。下を見れば、風見が僅かに片脚を上げていた。どうやら足払いをかけたらしい。  地面に伏した男の背に、革靴に包まれた足が乗せられる。そのまま体重をかけられ、刈り上げの男は悲鳴を上げ始めた。 「お前らさぁ、『氷華(ひょうか)の風見』って知らねぇ訳?」 「ひょ、氷華の風見……って、あの!?」 「そうだよその風見だよ」 「ぐぁああっ、いてぇッ、離せっ!!」  男は手足をばたつかせ抵抗を試みるが、風見の足にはどんどん体重がかかっていく。  響き渡る悲鳴と同時に、俺を羽交い締めにしていた男たちの力が緩んでいった。その隙を狙って、俺は男たちの腕から逃れる。 「お前らの……何代前か知らねぇけど、上の奴らに春根の奴には手ェ出すなって言い聞かせてあった筈なんだけどなぁ」 「そんなの知らねッぁぁあ!!」 「んじゃ今お前らに言うから。もう春根には手ェ出すな。次うちの生徒となんかあったら……俺が出てくると思え」  殴る音も蹴る音も無い。ただ男の悲痛な悲鳴だけが路地に響く。しかしそれだけで、風見は男たちを制圧してしまった。  刈り上げの男は背中に足跡を残したまま、仲間を連れ逃げていった。その背中を見送り、風見は笑顔で俺を振り返る。 「よう一条!面倒な奴らに絡まれてたなぁ」 「アンタ……何者だよ」  地面に放り出されていたスクールバッグを俺に手渡し、風見は白衣のポケットから煙草を取り出す。火をつけながら、風見は苦笑いで言った。 「まぁ、昔ちょっとな。あーあ、慌てて出てきたから白衣着たままだ」 「昔ちょっとって……」 「もういいだろー?丸く収まったんだから」  丸く、収まったのだろうか、あれは。  とにかく帰ろうぜーと呑気に大通りの方へ歩き始めた風見の白く清潔な背中を見ながら、俺は言いようのない気持ちが湧いてくるのを感じていた。  なんだ、この胸の鼓動は。風見が現れた時の高鳴りは。 「一条?」 「ッ!!こっち見んじゃねぇ!」 「ぃってぇ!」  振り返った風見の柔らかな表情に、ぶわ、と頰が熱くなる感覚。  俺は慌てて、手にしていたスクールバッグを思い切りその顔面に投げつけた。
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