瞬き

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瞬き

『──えー、ということで、春の陽気に気を取られず、気を引き締めて勉学に励んでください。以上!』  だらだらと長ったらしく続いた挨拶をようやく終わらせる気になったようだ。長い説教のような校長挨拶が終われば、もう始業式は終わったも同然。  ふあ、と噛み殺しきれなかった欠伸をして、開け放たれた扉を見る。春風が揺れて、桜の花びらがひらひらと体育館に侵入してきた。  ああ、春だなぁ。ぽかぽかとした春の陽気にすっかり当てられ、校長挨拶に続いて壇上で行われている新任教師の紹介も新学期が始まるにあたっての諸注意も、俺の耳にはまったく入ってこない。  なんとかぎりぎりの所で耐えていた眠気が本格的に俺を襲ってくる。ついうとうとしてしまい、もう少しで眠りに落ちられそうな……。 「……き、瑠樹(るき)。おい、瑠樹!」 「んあっ?」  ばしっと背中を叩かれる痛みが俺を襲う。  慌てて顔を上げると、呆れた笑みで俺を見る(れん)の姿があった。 「んだよ、寝てたのか?」  きょろきょろと辺りを見回すと、既に始業式は終わっており、みんな教室に戻り始めていた。 「あー、ちょっと寝てた」 「ま、校長の挨拶相変わらず長かったしなー。この後どうする?フケるか」  始業式の後は確かそれぞれの教室でホームルーム、だったっけか。 「そうだな……ゲーセンでも行くか」  体育館の外に出ると、春の陽射しが俺の金髪と蓮の銀髪を透かす。それと同時に、周りの生徒が怯えたように道を開けた。  こそこそと、潜めた声が聞こえてくる。 「うわ、一条と三木だ……」 「あいつら始業式出てたのかよ…学校一のヤンキーコンビ」  恐れと揶揄が混じった声は、耳障りで。 「……るっせぇな」  手短に置かれていたゴミ箱を蹴ると、派手な音がして倒れた。しんと辺りが静まり返ったのに満足して、俺は蓮を連れて玄関口へと向かった。  俺、一条瑠樹はこの春根(はるね)高校で一番問題視されている生徒、らしい。  自分では好き勝手やっているだけなので知ったことではないが、教師たちが俺を捕まえて良くそう言っている。  親友の三木蓮と揃って喧嘩やサボりの常習犯。他校の生徒ともしょっちゅう喧嘩になるから、教育委員会?PTA?良く分からないが、その辺からも目をつけられているらしい。  別に、悪ぶりたくてやっている訳ではないのだ。ただ売られた喧嘩を買っているだけ。授業より興味があるものへ足が向くだけ。  そんな風に送っていた俺の気ままな高校生活は、この春、あいつの訪れと共に終わりを迎える。 ****  始業式から数日が過ぎ、やっと二年生の肩書きにも慣れ始めた頃。  俺は相変わらず授業にはまともに出ていなかったが、蓮を始めとした友人たちに会う為に学校に来ていた。  校内のチャイムが三限の始まりを告げたのと同時、俺は屋上へ向かう階段を一人で登っていた。  ここの屋上は立ち入り禁止で鍵がかかっている。けれど、俺は入学してすぐに仲良くなった先輩から屋上の鍵を譲り受けていた。  代々俺と同じような奴らの溜まり場になっているらしい屋上を、俺は俺だけの秘密の喫煙所として使っている。俺以外には侵入者のいない、寛げる秘密の場所。  いつものように解錠し扉を開く。誰もいない筈の屋上に、人影が見えた。  誰だ、一体。その人影が俺だけの場所を一瞬で荒らしてしまったような気がして、俺の機嫌は急降下する。  この春入学してきた新入生だろうか。それなら一発軽く締めてやろうと、俺は拳を鳴らす。  態と足音を立てるようにフェンスに凭れかかる人影に近くと、俺に気づいたそいつは後ろを振り返った。  その姿は、制服ではなくて。 「……あれ、鍵かかってなかったか?」  そう言って困ったように笑う長身の男は、ワイシャツに白衣を着ていた。無造作を装ったセットが施された、明るい茶髪。どこからどう見ても生徒ではない。  しかし、教師だとしても見覚えがなかった。一年間、真面目とは言えずともこの学校に通っているのだ。いつも口うるさく注意してくる教師たちは全員顔を見たことがある筈で。  言葉を返さない俺が戸惑った顔をしていたのだろう。男は苦笑いして、自己紹介をした。 「あー、俺は風見晴矢(かざみはるや)。今年から赴任してきた理科教師です」 「今年から……」  なるほど。通りで見たことがない筈だ。始業式での新任教師の挨拶もまともに聞いていなかったのだ、見覚えがある筈がない。  しかし、男の正体が分かってもまだ疑問は残る。ポケットから煙草の箱を取り出しながら、俺はその疑問を男──風見に投げかけた。 「アンタ、何でここの鍵持ってんだ。屋上の鍵は俺が持ってるスペア以外行方不明って聞いてるぜ」  だから今は俺しか入れない筈なんだが、と言外に伝える。  良く見ると、風見も指先に煙草を挟んでいた。俺が煙草に火をつけるのを咎めるでもなくじっと見ていた風見は、小さく笑いながら答えた。涼やかなタレ目がその笑みを懐っこく見せる。 「そのスペア、作って後輩に渡したのは俺だよ。俺は春根の卒業生なんだ。マスターキーは在学中からずっと俺が持ってる」 「卒業生……なるほどな」  屋上はその頃から生徒の溜まり場だったって訳か。 「にしても、ずっと代々受け継がれてたとはなぁ。先生たちに悪い事したかな」  そう言いながら、風見は携帯灰皿で煙草の火を消す。風に白衣が靡いて、太陽の光を眩しく反射した。  その眩さに目を細めた俺の肩を軽く叩くと、風見は悪戯っぽく笑って見せる。 「俺たち、共犯だからな。黙っててやるから、黙ってるんだぞ?」  風見は幼い子供に言い聞かせるような口調でそう言うと、俺の返事を待つ前に軽やかな足取りで去っていった。  ガチャン、と扉が重く閉まる音を聞きながら、俺は妙な奴が赴任してきたな、と煙草の煙を吐き出しながらぼんやりと思っていた。
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