女将のたのみごと

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六方はぐい飲みに酒を注ぎ、口へと運びます。 旧林業試験場公園に忽然(こつぜん)と現れた、小料理屋「八尾萬」(やおよろず)の謎を解いて、満足しているように見えました。 「六方さん、それでいいんですか」 僕の言葉に驚いたのか、彼はアーモンド型の目をしばたたかせました。 「どうやって帰るんですか。その前に、なんで僕らが呼び込まれたのか気にならないんですか」 僕の反論に、六方は冷ややかでした。 「小料理屋を見つけたのも、『安心して飲み食いできる』と言って店へ入ったのも、君が自らすすんでしたことだったと思うんだけど」 彼は何度も別世界に行っているからか、「だいじょうぶ」と余裕を見せています。 「別世界で、しかも狐のお店なんて、何が起こるか知れたもんじゃあないですよ」 僕に余裕はありませんでした。 ところが女将に、「誓って何もしませんから、ご機嫌を治していただけませんか」と言われると、僕の警戒心は陽が昇った後の朝霜のように消えてしまいました。 「そうですよね。今までこんなにもてなしてもらったんだから、大丈夫ですね」 女将はまた、微笑みました。 「ただ、お店へお呼びしたのには、それなりの理由があります」 「気になるなあ。僕もさっきからずっと、気になってたんですよ」 しばらく口を噤んでいたタヌキが突然、横から口を挟みました。 「ちょっと仕掛けが、大掛かり過ぎやしませんかね」 すっかり騙されていたのを恨みに思うのか、言葉にがあります。 「たいへんご無礼をいたしました」 狐の女将は、タヌキに深々とお辞儀をしました。 「太貫(おおぬき)先生、いやタヌキ先生に、折り入ってお頼みしたい事があるものですから」 タヌキは人間としての本名と、教師としてのあだ名の両方で呼ばれて、面食らったようです。 思わず、「なんでしょうか」と聞き返した声は、教師らしい柔らかいものでした。 「お願いします。うちの子を、娘の菜々枝(ななえ)をお守りください」 よほど心配なのでしょう。 女将は胸の前で手を絞るようにしていました。
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